Google Adsenseをはじめた

Webを生業にしているが、ボクは何年も「サイトに掲載した広告で収益を得る」ビジネスモデルが好きではなかった。少なくともデザインをしている身からすれば、コンテンツと関係がない広告表示はノイズでしかないと思っている。

しかし同時に広告業というジャンルに属しながら、世界的に見ても大きな広告分野を無視しつづけてきたことでもある。そんなジレンマを持ったまま何年(10年+)仕事をしてきたが、昨年のCOVID-19での社会の変わり方含め、広告業界自体の在り方がかわっていることも感じている。

いい加減、無視できなくなってきたこともあって実験と実益を兼ねて自分のBlog導入することにした。使い始めということでGoogleにおまかせで広告を挿入させることをしてみたが、到底許容できるレベルではない広告の挿入の仕方だった。

だがそれ以上に驚いたことは、ボクはずっとブラウザにAdBlockという広告をブロックするAdd-onをインストールして使ってきていたが、Adsenseを使うにあたって「それを無効にしろ」という警告がでた。しかし言いたいことはわかるためしぶしぶとOffにした。

そうなるとどうだろうか。ありとあらゆるサイトでGoogle Adsese広告が表示されるようになった。それは有名なサイトだろうが、それこそ映画の配信サイトであっても隙間があれば広告が表示された。
その時に思ったのは、「そういうちょっとでも収益を得れるチャンスがあるなら利用する」といった貪欲な姿勢がなければ生きていけない時代になったのかもしれないということだった。

広告って何なんだろうかと改めて向き合わされた気分だった。
書き始めるとキリがないが、少なくとも自分のBlogでは最低限に抑えたいと思ったし、「ページ読み込み時の全画面広告」「追従型の広告」だけは断じて許容できなかった。
オナニーなのだろうけど、せめてそのくらいの矜持は持ち合わせたままでいたい。

当サイトはAdblockの使用を推奨しています。

今月に読む本 #202101

去年の年末に書いたように今年は毎月、極力1冊以上は本を読もうと思う。

そこで先週末は近所の図書館に出かけた。
まずは1巻を借りた後に2巻以降が貸し出し中で借りれなかった「深夜特急2」「深夜特急3」(沢木耕太郎 著)を書棚から取り出す。
次に最近読んだ雑誌で、『著名人が選ぶ人生の一冊』で紹介をされていた「料理人」(ハリー・クレッシング著)が気になっていたので、こちらも借りることにした。
4冊目の「2050年世界人口大減少」(ダリル・ブリッカー (著), ジョン・イビットソン (著), 河合 雅司・解説 (著), 倉田 幸信 (翻訳) )は、2chのひろゆきが読んで面白かったという言っていたことに興味を覚え借りることにした。他にもひろゆきが面白いといった本で気になっているのは「銃・病原菌・鉄(上下)」で、これも2年以上前から読もう読もうと思っていたのに読んでいないままなので今年は読みたいと思う。
頭がいいなと感じる人が面白いと紹介する本は、できる限り多く読んで学んでいきたい思っている。

とりあえず早く読めそうな本からと思い「料理人」から読み始めたが、本がずいぶんと古めかしかった。紙がかなり変色していて、一体これはいつ発刊なのだろうと奥付をみると昭和54年だった。
そのためか今の小説の文庫の標準的な文字サイズよりも小さく、また漢字も難読なものが多いように感じる。辞書片手に本を読むのはずいぶんと久しぶりだった。

しかしそれがまた何とも言えない読書体験のようにも感じている。
自室でJazzを聴きながら酒を片手にゆっくりと本を読む。
何とも言えない贅沢な時間の過ごし方だ。
今週末は雨の予報だし、ゆっくりと本を読んで過ごしたいと思う。

#011321

フォロワーがRTされていたTweetを見たとき、半年ほど自分の中でもんやりと思っていたことが文章化されていたので、納得がいった話。

このTweetに連続されて投稿されている医師との会話を読めばわかるけど、まとめてしまうと読書のように心身ともにリラックスできるような趣味を多くしないと、30歳以上の人は体か心どちらかが休まっていない状態ができてしまい、疲労感が消え去らないという話だった。

今年の年末年始はずーっと寝て過ごした。
その間したことといえばホロライブの配信を見てたくらいだった。

そして先週の3連休は緊急事態宣言が出された直後だったこともあって、これまた3日間ずーっと部屋からでなかった。むしろ部屋からでないどころか大半を布団の中で過ごしていた。
その間はYoutubeもみずに、ただぼんやりとすごしていた。

昔の自分がみたら「こんな何もしないなんて考えられない」と驚きそうだったが、不思議と無為にすごしたあと、「まぁいいか」という感慨しかわかなかった。
疲れていたのかいわれると疲れていたようにも思えるし、それで回復したかと言われるとわからない。
ただ以前と比べればいくぶん精神の状態は良いようにも思える。

何かにとりつかれたような焦燥感もなければ、いつまでも消えなかった澱のような疲労感もなくなっていた。なーんにもせずになーんも考えず過ごしたことが結果的に良かったようだ。
ホロライブの配信も見なかったことも良かったかもしれない。
ちょうど応援してる「紫咲シオンが風邪で少し休みます」というTweetをしていたので、「じゃーボクも休むかー」と思えたのも、結果的に良かった。

やはりVTuberは現代の疲れに効く。

#010521

毎年恒例の鷲宮神社に初詣へでかけた。
高速道路で久喜ICまで移動したためかなり早い時間に到着できた。
鷲宮神社は混んでいるイメージがあったが、とくに並ぶことなく参拝をすませることができた。

おみくじを引いてみると珍しく大吉だった。
あまり大吉って良くないんだよなーと思いながら内容を読むと、さすがにどの項目も良さそうだったが、唯一旅行だけは「交通事故に注意」となっていた。コレはあまり良くないのでは……とやや不安になった。

帰り道は百観音温泉に立ち寄る。
都市部にあるため景観の風情がないことだけは残念だけど、泉質は温泉品評会お墨付きのため、寝湯でいつまでも浸かり続けられる。

寝湯に浸かりながらこれからの人生をどうしようかと思いながら、空を見上げていたが当然のようにいい考えなんて何一つ浮かばなかった。
40歳を超えた人間がまともに転職できる気もしないので、働きながら転職活動しようかなと考えているが、田舎で農家になるのも悪くないんじゃないかという気持ちになりつつある。

いつまでも自由に生きていけるわけではないのだけど、いつもこうやって「もう終わりかな」と思うと、「あそこもいきたい、ここも行きたい」と次々に思い浮かんでくるのはなぜなんだろう。上手く人生を生きることができてない。

というわけで今年の目標は

  • 岩手県の海沿いをバイクでブラブラと旅したい(数日かけて)
  • 山形県の出羽三社神社に行きたい
  • 極力落書きをしたい(下手だろうがなんだろうが気にしないで続ける)
  • 月に一度はキャンプに出かける / 月に一度は自転車で出かける
  • 本を毎月1冊以上は読む / なるべく本屋へ足を運ぶ

#311202

今年は昨年まで以上にあっという間に1年がおわってしまったように感じる。

思い返すとバイクばかり乗って自転車に乗らない1年だった。
来年はまだ関東にいるようであれば、もう少し自転車の割合を増やしたいと思う。
自転車に乗らなくなった理由としては、自転車・バイク・キャンプと趣味が増えてしまったことでやりたいことが渋滞してしまったことと、沈殿して澱となったような疲労感から早起きできずに自転車に乗れなかったことが原因のように思える。

自宅にいるときはVTuberを見始めたり、iPad Proを3月に購入してちょこちょこと落書きの練習をはじめたりはしたし、このBlogの更新頻度も去年よりは多かったように思える。(まだ長野キャンプの投稿ができていないが)

反省点として、ダイエットの方は全然だめな1年だったと思う。
部屋に来訪する人がいなくなったので、この機会にソファを片付けてしまい、Zwiftを出しっぱなしにした状態で毎日運動するのも良いかもしれない。

そんなモヤモヤとした気持ちのまま年の瀬を迎えてしまい、どうにもどこか遠くに旅行へ行く気持ちにならず、それでも一応は旅行へ行けるようにと毎年恒例の大掃除をした。

毎年恒例でも一番たいへんなことががキーボードの分解清掃で、今年はHHKB BTもフル分解して掃除した。
キートップを外すと本体側の溝が案の定ひどい状態で、綿棒とアルコールで掃除するよりいっそ重曹を溶かした水で洗ったほうが良さそうと判断して分解することにした。
しかしこれがまた大変苦労する構造で、比較的構造が簡単なHHKB Liteと比べると値段の分複雑で精緻な製品のように感じた。問題は分解がひどく難解だし、元通りになるのかという不安が凄まじい点だった。

幸い無事に通電もっできてキーが反応しないといったこともなく復元できたので、今テストがてらこの投稿を書いている。このあとはやることリストに入れていた昨月のキャンプ記事を投稿して、今年はお終いとなりそう。

毎年恒例といえば、いつも年越しそばをスーパーで売られている生麺を買っていたけど、あまり美味しいと感じることもなかったので、今年はどん兵衛で終わらせるのが一番幸せかなーと考えている。

皆様良いお年を。

#151220

tumblrで目について面白い意見だなってtweetを見に行くと、リプライに大量の「わかりますぅー」ってのが一杯ついていたが、どれも「え、そうなの?」と思うようなものばっかりだった。

みんな正しくてみんな違っていいと思うことは念頭に起きつつ、ボクはこのtweetの「しなくてもいいけれど、あえてそれを実行することが自由だと感じる」という箇所に興味を覚えた。ボク自身は意識してこなかったけど、「なるほど、そういうことを自由だと感じることもあるのか」という、思いもしなかったことが言葉にされたような感覚だ。

一人旅は初めから終わりまで自由だ。
予定をたてとしてもしなくても良い。
近所のドトールでコーヒーだけ飲んで帰ろうが、バイク駐輪場で引き返そうが、布団から出たくないならでなくても良い。

ただそれらは自由ではない。
twitterの文章はつまりそういうことで、「他の選択肢もあるけれど、あえて自分は旅にでることを選び通す」ことが自由を感じるといってるのではないだろうか。
「分かります。近所のタバコ屋にいくまでも旅ですよね」とか「近所いくのも旅ですよね」みたいなのは、そう思うならそうなんでしょうねぇ……ともんやりする何かだった。

自由は積極的に選ぶことにこそ価値があると思う。
「こんなことしなくてもいいのに」という行為をあえてする。
近場でコーヒー飲んでもいいのに、家から離れた場所の街に出かけてコーヒーを飲む。
わざわざ無駄なことをする。
他人からみたら無駄だと思われることを、あえて自分で選び行えることが自由だ。

だから「する・しない」で「しない」を選ぶのは自由なようで自由ではない。
何か理由(行くのがめんどくさくなった、体調が悪い、天気が悪い、お金がかかるなど)で自由が制限されただけだ。

それでも、「今日は5万円のホテルを予約してキャンセル料100%取られるが、あえて
今日はいかないことを選ぶ。なぜなら気が変わったからだ」は自由だと思う。
その時にやりたいことを天秤にかけて、やりたいことを選ぶことはとても大切なことだと思う。