19の時につげ義春「無能の人」を読んだ影響で公園の石ころを路上で販売してみました。高田馬場でした。
石の値段は150円から900円くらいまで用意しました。最初は売れませんでしたが、興味を持ってくれる物好きな人と会話する機会が増え、だんだんトークスクリプトがブラッシュアップされて行き、3日目に時給換算で600円くらい売れるようになりました。
ほとんどの方はその露店を見なかったかのように素通りします。たまに「なにを売っているんですか?」と尋ねてくる方がいます。その方を対象にトークスクリプトを作りました。
「何をしているんですか?」
「石を売っています。すぐそこの公園で拾ったのでご利益はありません。水洗いはしてあります」
「石?なんでそんな石を売っているんですか?」
「こちらとしては原価ゼロなので商材として魅力的です。そして買うだけの価値もあります」
「価値?」
「今までにそこらへんの石を購入されたご経験はおありですか?」
「ありません」
「今後の人生で購入する機会はあると思いますか?」
「ないと思います」
「ですよね。この石を購入すると買った瞬間から『そこらへんの路上の石を買った』と話すことができます。一生に一回のチャンスです」このパターンで売れるようになりました。今なら「そのものの価値より顧客体験が大事なのだ」と説明できますが、当時実感としてそれを得られたのは貴重でした。
「ちなみになんですが、ご自身の石に加えて、ギフト用にもう一ついかがですか?『そこら辺の石をプレゼントするまたとないチャンス』です」
それまでの会話のウケ次第ではこれもニヤニヤしながら買ってくれます。
その後社会に出て営業の経験も何度かしましたが、石売った初日の何もなさ、難易度を思い出すとどんな営業でも心が折れなくなりました。ほとんどの商材は石より価値を感じられますし。
この話、なんか仕事仲間にウケがいいです。
蛇足になりますがせっかくなので後日談を書きます。
上記のエピソードは仕事関係でまあまあウケがよく、機会があるごとに話していたのですが、この話をドイツでしたところ「フリーマーケットにいるよ」と片付けられたのでした。
実際にフリーマーケットに行ってみると、中国人が「漢字を書いただけの石」を売っていたのでした。漢字を書いただけ。しかも結構売れてる様子。意味がわからなくても「漢字だ!かっこいい!」となる欧米人は多くいます。
私はそこに、プロのアイデアとテクニックを見たような思いでした。そのタイミングで私は「そこらへんの石ビジネス業界」の存在を知り、自分がまだまだ駆け出しだったことを痛感したのでした。
ビジネスの世界は本当に奥深い。
以前Tumblrで見かけた投稿だけど、また巡ってきたのでblogに引用。
似たようなのでソフトバンクの北尾吉孝さんが「アラブの石油王にアラブの砂を売ることができる男」と呼ばれていた話しを思い出す。
最近、お米が値上がりして仲卸業者が暴利を貪って中抜きしてるのが許せない!みたいな意見をSNSでよく見て微笑ましい気持ちになる。
そもそも中抜きという言葉が本来の意味と異なっている。本来の中抜きは、卸売などの中間業者を通さずに製造元と買い手が直接取り引きすること。最近よく聞く手数料だけ取ってまるなげみたいなのは、どちらかというと中間マージンの方が正しいけど、マスコミ含めインターネットメディアとSNSで悪い言葉のイメージとして定着させられた。
仲卸仲介業者がどんな仕事をしているかも想像できないから、ただ農家からお米を買って売ってるだけで儲けてる!許せない!とかなんだろう。
石の話しもアラブ人に砂漠の砂を売る話しにしても、仲介仲卸業者が農家から米を買って売るにしても共通しているのは「お互いにメリットがある」「物以外のものをお金で交換している」ことにある。
「ビジネスの世界は本当に奥深い」という引用の感想にこそ主題の味わいがある。