#181124

今日のtumblrでみたもの

木登りの名人と呼ばれている男が、弟子を高い木に登らせて小枝を切り落としていた。弟子が危ない場所にいる時には何も言わず、軒先まで降りてきた時に、「怪我をしないように気をつけて降りて来い」と声をかけた。「こんな高さなら飛び降りても平気ではないか。なぜ今更そのようなことを言うのか?」と問わば、「そこがポイントです。目眩がするくらい危ない枝に立っていれば、怖くて自分で気をつけるでしょう。だから何も言う必要はありません。事故は安全な場所で気が緩んだ時こそ起こるのです」と答えた。

たいした身分の親父ではないが、教科書に掲載できそうな内容だ。バレーボールのラリーなどでも、難しい球をレシーブした後に、気が緩んで必ず球を落とすらしい。

原文

高名かうみやうの木登りといひしをのこ、人をおきてて、たかき木に登せて、こずゑを切らせしに、いとあやふく見えしほどは言ふ事もなくて、るゝ時に、軒長のきたけばかりに成りて、「あやまちすな。心して降りよ」と言葉をかけはべりしを、「かばかりになりては、飛びるとも降りなん。如何にかく言ふぞ」と申し侍りしかば、「その事に候ふ。目くるめき、枝危きほどは、己れが恐れ侍れば、申さず。あやまちは、安き所に成りて、必ずつかまつる事に候ふ」と言ふ。

あやしき下臈げらふなれども、聖人のいましめにかなへり。まりも、かたき所をいだして後、やすく思へば必ず落つと侍るやらん。

徒然草 第百九段 / 徒然草 (吉田兼好著・吾妻利秋訳)

興味を覚えて他の現代語訳をいくつか眺めていると、現代のSNSでよく見るような妬みと罵倒という図式があって、人間社会の進歩とはかくも時間がかかるものなのかと、何百年経っても変わらないものなのだなーと感じた。

カテゴリーTALK

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください