ラーメンどんぶりに見るユメ

中華料理の撮影で使う小道具を買いにかっぱ橋に出かけた。
お目当ての商品をレジ籠にいれたあと、店内の奥まで物色するとラーメンどんぶりがおいてあった。

ラーメンどんぶりという食器をどのくらいの人が買うものかはわからない。
ただボクはインスタントラーメン(袋麺)がとても好きで、一人暮らしを初めた時、最初に買い揃えた器はラーメンどんぶりだった。
一人暮らしを始める前、つまり実家で生活していたとき土日の昼食はインスタントラーメンだった。その時の器はラーメンどんぶりだったため、ラーメンはこの入れ物で食べる物という認識が出来上がっていた。
だから一人暮らしを始めるにあたって、よくお世話になりそうなインスタントラーメンを作るならラーメンどんぶりは必要不可欠と考え始めに買ったわけだ。

月日は流れ、ちょうど今の賃貸に引っ越しすぐに10年ほど使っていたらーめんどんぶりが半分に割れた。落としたとかそういうのではなく、使おうと思って持ちあげようとしたら持ち上がらずに半分に割れた。なんとも綺麗にぱっかりと真っ二つにわれたため、これなら接着して使おうと一瞬考えた。ただこんな綺麗な割れ方をするなら天命なのかもしれないと廃棄することにした。

ただそれから以来1年ほどはラーメンどんぶりがない生活になった。
ラーメンと具材を鍋で茹で、鍋にそのまま粉スープを入れ、器にいれずそのまま鍋で食べることになった。
ところが鍋で食べていると、どうしてか食べ終わっても満たされることがなかった。
食事というよりかはその場しのぎで空腹を満たすためだけの行為。
それが1年の間どこからくる感情かもわからないまま続けていたけれど、ある日Tumblrで流れてきた投稿で答えを得た。

「ぼくは、たとえインスタント・ラーメンであっても、龍の模様なんかがついた中華丼で食べたいし、一本五百円の安ワインでも、コップではなくて、ワイングラスで飲みたいと思う。そういう風にして、食べたり、飲んだりした方がおいしい、というのは一つの大切な真実ではないだろうか。合理的な考え方からすれば、容器によって味が変わるはずもないのだから、おいしい、と思うぼくは幻影を食べたり飲んだりしているのかも知れない。しかし、そうした幻影を一つ一つ否定していったら、ぼくたちの生活に何が残るだろう。」

渡辺武信 『住まい方の思想』中公新書

これを読んでたしかにそうかもしれないと思った。
ワイングラスでワインを飲み、シャンパングラスでシャンパンを飲む。そしてラーメンどんぶりでラーメンを食べる。
たとえ飲んだ物、食べた物の価格がどうであれ、一定レベルの器というフィルターを通すことで体験を得ることが重要ではないのだろうかと気付いた。

そのあとAmazonやオンラインストアを探したり、旅先でラーメン良さそうなラーメンどんぶりを探してはいたけれど中々思ったものに出会えず、いつしか探すことも忘れ去っていた。(袋ラーメンを作って食べるたびに思い出してはいた)

そんなある日の今日、探していたイメージにぴったりのラーメンどんぶりを見つけて嬉しくなって購入。早速夜にインスタントラーメンを茹で、買ってきたラーメンどんぶりで食べてみた。
するとどうだろうか。鍋でそのまま食べていた時には感じることができなかった何とも言えない充足感を感じた。こんな些細なひと手間で今までの数回の食事を無駄にしてきたのかと思うと少し悲しくなった。
やっぱり他人から見て無駄だと思われても、自分が追い求める姿は追求したほうが良い。

ちなみにAmazonだと1,000円ほどで売られていたけれど、かっぱ橋だと780円だったのでやはりこういうのは問屋街の方が安い。
大阪に住んでいた頃は日本橋のでんでんタウンに行く道中、千日前道具屋筋を通って色々物色するのが好きだったなーと懐かしく思った。

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