Relive ‘そうだ、京都へ行こう’
3日目は9時に出発した。
京都までの残りの距離は2日目よりも短い140kmほどだが、峠が多いことは事前にルート検索していたのでわかっていた。やはりどこの県も県境は山になっているようで、今回の旅行で平地の県超えは新潟→富山県だけだった。
3日目は旅行の出発日の感じでは、もしかしたら台風が直撃するかもと思っていたが、さっさと熱帯低気圧になっていて、バカみたいな快晴だった。つまり最高で最低だった。(気温38℃)
まずは敦賀を目指した。
鯖江から10km走るとすぐに山岳地帯となった。
前日に少しでも京都に近づけたほうが良いかと思って、敦賀でホテルを探したが、結果的には鯖江に泊まって正解だった。
鯖江から敦賀は距離では45kmほどだが、海沿いの道でアップダウンが非常に多く、また海風もあって難儀した。
だがそれよりも全くコンビニがなく、敦賀市にたどり着くまで補給らしい補給ができなかったことも重なって、距離以上に敦賀を遠く感じさせた。
それでも展望台から見えたもんじゅとまわりの景色は、旅行中でも屈指の美しさだった。道中も青い海と緑の山、間を走る道路が美しかった。
天気が良い日に走る自転車の旅は、暑さで辛いと思うけれど、それでも五感で感じることができる体験は車や電車旅行では得難いものがある。
走っていて「今この景色!」とブレーキを踏んで止まり、少し戻って写真を撮るといったこともできる。
バイクや車でもできることはできるが、どうしても他の交通の妨げになるかもしれないといった要因で気軽に停車がし辛いと思う。
そういった気軽さ、自由度はやはり自転車が優れている。
問題はやっぱり辛いということ。
良い物は楽して得ることはできないのだ。
敦賀の海水浴を抜け敦賀市内に…は入らず、そのまま滋賀への道に入っていった。さすがに補給無しで進むことはできないので、コンビニを探して、この日2回目のコンビニ休憩を取った。
敦賀から滋賀までもやはり県境のため、峠がある。
この日は350m級が3回、京都近くで480m級が1回という中々ハードな行程。
鯖江から敦賀で1つの350m級は超えているため、敦賀から滋賀までが2個目となる。
旅行中はSPDシューズのため、本当に辛い時は押して歩けるという心の逃げ道があるのと、もし京都に遅くついてしまっても、泊まれば良いということもあり、比較的気持ちは楽に登ることができた。
峠を超えたあと、「道の駅 マキノ追坂峠」があったので休憩することにした。
売店のかき氷を食べながら旅行者の方とお話をする。
ボクは旅をして色々な人と話しをするのは嫌いではない。
積極的に話しかけたりはしないが、よく話しかけられたりはする。
休憩後に坂を降りきり、コンビニで昼食にした。
この頃からかなりバテ気味だった。
気温が高かったことと、滋賀京都特有の暑さが体力をかなり奪っていた。
結局、滋賀から京都へ抜ける手前の峠は、何度も立ち止まって休みながら乗り越えることになった。誰かと競ってるわけでも、タイムを計測しているわけではないので、気にしたら負けだ。
3つめの峠を降りていくと、川で寝そべっている人たちがいた。
よく見ると同じ自転車乗りのようだった。
暑い中、あんな風に水で体を冷やせたら最高だろうなーと、心の底から羨ましかった。水が綺麗な上流でしかできないことだろうし、それに地元だからできることだなーと思いながら横を通っていった。
コンビニで480m級を登る覚悟を決めつつ休憩をとった。
体力はかなり限界で速度もかなり遅くなっていたが、なんとか19時には京都駅に辿り着けそうだった。
途中事故があったり、鮎ののぼりを見てはたべたくなったりしたが、心を無心にしてペダルを回す。
そして480m級はいつくるんだ!と思いながら登っていたら、急な登攀ではなく緩やかに登る登攀だったようで、いつの間にか頂上にたどり着いていた。
そこからは京都市内を目指して降りるだけだった。
そうなると今度は、「あぁ…旅が終わってしまう」という寂しい気持ちが心を専有した。
地図はナビ任せだったため自分がどこを走っているかは知るよしもなかったが、看板を見ると大原と書いてあった。
ちょうど旅行に出る前の美の巨人たちで「大原三千院」を特集していたので、立ち寄ることにした。
が、大原についたのが17時だったため、閉門してしまっていた。
結局、その後も京都を観光らしい観光もせず、走り抜けた。
今まで京都をわけわからずに車では知ったり、電車でウロウロしたことはあったが、自転車でくるとそれらの道がつながり、「あぁこういう位置関係だったのか」とガッテンがいったことがとてもよかった。
京都駅には予定通り19時についた。
さすがにお盆の帰省ラッシュでグリーン車でなければ空いてないのではないかと思ったが、運良く20:45の列車で車両最後尾の席が空いていた。
最後尾の座席でなければ自転車を置くことができず、たったママとなってしまう。それは疲れた体では避けたかったため、1時間後のその列車で戻ることにした。
そこからは慌ただしい1時間だった。
本当は21時半の最終でと思っていたのだが、1時間もくりあげられてしまったため、京都タワー下の銭湯へ行くプランは使えなくなった。
それでもさすがに汗臭い状態で乗り込むわけにもいかず、薬局を探しアルコールタオルで体を拭き、その後はホテル用の衣類に着替えた。
一息をつくこともできないまま、適当にお土産を選び新幹線ホームへ向かう。
新幹線の改札後にもおみやげコーナーがあったのは誤算だったが、そこでは友人向けにお土産を購入し、お弁当もと思ったが気が乗らずそのまま新幹線に乗り込んだ。
新幹線の座席でビールを飲みながら旅の記憶を思い返した。やはり慌ただしかっただけだなーという印象だった。
それでも目を閉じれば走った道と見た景色を思い出すことができ、幸せな気持ちになることができた。
京都から東京までは死んだように寝ていた。
気づいたら東京駅についていたので、最後の力を振り絞って自宅まで電車を乗り継ぐ。そして帰宅後は自転車の傷を確認した。幸い傷もなく、無事に輪行することができたようだった。
正直、もうこのルートを通るのはやめようというルートだったし、死ぬほど疲れた。それでもお風呂に入ったあとは、今度はどこへ行こうかなーという思いが湧いていた。新潟から東北へ行くのも面白そうだ。