煎茶堂東京 透明急須

COVID-19で部屋にいる時間が増えたころからだと思うが、今までとりあえずで買ってきた物(食器とか服)を見直すようになった。
加齢で落ち着いたという側面もあるが、昔と比べて他人の目を気にしなくなったというか、そんな感覚。世間で言うところの「映える」ということを一切気にしなくなった。
それよりかは使い続ける自分を想像して、「それは良いな」とじんわりと感じれるものを選ぶようになった。

あと何かの本か記事で、お金を得るためにはまず身の回りの不要物を減らしていくことが大事というのを見て以来、部屋にあって目につくもの・クローゼットの中をかなり断捨離した。

ボクは賃貸暮らしのため、毎月安い給料から安くない額の賃貸費用を払っている。見方を変えると空間使用量に対してお金を支払っている。つまり使わないものや、昔使っただけでそれきりなんていう、そこにあるだけの物はただ空間を圧迫しているだけで空間に対する負債となる。そう考えてみると急に「なんで???」と思い始めてしまい、ポイポイと捨てることためらいがなくなった。

断捨離云々でいうと、よく「それは必要な時に買いなおせるだけの余裕がある人がやる良い格好」という意見を目にする。むしろポイポイすてて快適な部屋になったボクからすれば、貧しい人ほど、定期的に断捨離するべきだと思う。
空間の話もあるけど、今まで買うときに特に考えもせずに、まず買うとしてきていたが、部屋がすっきりしていると代用できるものはないか、とか本当に必要なのかを考える習慣ができる。
緊縮思考であまりよくはないが必要な物だけを買う生活だ。ミニマリストにまでなる必要はないが、今まで特に何も考えずに使ってきたものを変えたらどうなるのかとやってみたら意外と快適だったという話。


話がそれてしまったが、今回は急須のご紹介。
毎年、年始めに旅から帰ってきたあとは必ず最初に汲んだ水(若水)で、お茶を一杯飲む。
いわゆる古来の風習だが、欠かしたことはない。

部屋には急須と湯呑がある。
今の湯呑は無印良品の白磁製と、お茶屋でやすかった急須。
思いれの欠片もないが、そこそこ長く使っている。
しかし一時、黒烏龍茶で痩せるんやー!と飲んでいたせいで、茶渋がすごいことになっており綺麗にしようとあの手この手を試してみたものの、急須は構造上どうしても完璧には綺麗にしづらい。
そのため次に買う急須は口が大きい平型にしようと思っていた。

旅先の民藝で急須はよく見るが、なかなか急須を買って持ち帰ると割れないかなーという気持ちになり購入に踏み切れなかった。さりとて通販して買いたいほどの品にも出会えずといった葛藤のまま、ずるずると使い続けている。

ちょうど今月の半ば頃に。PR TIMESで「透明急須が7万個販売」という記事を見た。
形が好みの現代風のプロダクトデザインだし、何よりスタックできる・洗いやすいという機能性がとても気に入った。
しかし現在急須はあるし……月末まで熟考しようと保留にした。

それからしばらくして買う機会ができたので購入。
届いた商品は思っていた以上に小ぶりで、ガラス製と勝手に勘違いしていたが本体は強化プラスチック製だった。そのため蓋がかなり軽く、安っぽさは否めない。

機能・利便性という暴力

日常生活で洗い物が大変というのは、その行動をする精神的な妨げになる。
簡単に言うと「面倒くさい」。

その点でいうと透明急須は汚れが取りづらい部位が存在しないため、さっと洗えるから、とても手軽に使える。
結果的に「ちょっとお茶淹れるか」と急須でお茶を飲むことがふえた。

お茶屋が作った製品なだけあって、茶葉の広がりもいいためか味も良い気がする。
急須内部が茶こしに沿ってできているため出方が均一になっているのかもしれない。

以下は欠点というか、これ改善されたら文句ないのになーというところ。

透明で綺麗なことが逆に注ぎ終わったあとの姿を汚している(※ほうじ茶の場合でした。緑茶は綺麗に注げた)

使っている茶葉次第なのかもしれないが、今飲んでいる「葉桐 棒ほうじ茶」だと茶こしと蓋の隙間に茶葉が入り込もうとしてしまい、注ぎ終わった急須の所作があまり美しくない。
そこまで完璧を求めたらきりがないのかもしれないが、なんというか残心ができていない感じでちょっと残念に思える。お茶注ぎ終わったらボクの役目終わりです。ぐでーとなってる感じ。
注ぎ終わったら目につかない位置に置くならいいけど、折角透明で綺麗なのに注ぎ終わった姿があまり美しくないのは残念だった。

2022/04/03 追記
川根温泉に再訪し、川根茶を買ってきて淹れたら、ほうじ茶の時のように急須内で茶葉が散らばらず、綺麗なままだった。
これは良い……。

割れないことよりも、手に触れたときの感覚でガラス・陶器製が良い

個人的には透明でなくても良いから、同じ形でガラスか陶器製がほしい。
やっぱりこの安っぽいプラスチック素材は、お茶を淹れてのむことに感覚的に合わないように感じる。
普段使いとしての急須としては間違いなく気取らない分良いと思うが、今までお茶を淹れて飲む習慣がなかった人の導入になるような潜在性があるのに、素材のありふれた感じが特別感を打ち消してしまっている。
それならペットボトルのお茶でいいか。となりがち。
あと長く使っていないのでまだわからないけど、プラスチックだといずれ細かい生活傷によって、売りである透明もくすんでいくのではと考えている。

それなら割れることを許容してでも、ガラス・陶器で長く使える製品になってほしいなーという気持ち。
形の利便性は素晴らしいから、熱伝導で持てないところだけなんとかなればなー……。

大容量がほしい

1杯分120mlなので、一人暮らしならまだしも家族で飲む場合は2杯淹れるのが手間になりそう。240mlサイズがあればいいだろうし、売れ行きがよければ出るのだろうか。
というか出てほしいので、販促兼ねてこんな記事を書いているわけだ。

総評としては物はすごい良いし手放しでおすすめはできるものだけど、欠点もやや目につくという商品。
無印良品で売られたら買う人めっちゃ多そう。

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