#160425

突然修羅場になるやん

週明けから3日ほど忙しかったけど、今回も無事乗り越えた。
仕事終わ!今日はご褒美に呑むぞー!といつもの角打ちに行ってIPA大を2杯飲んで寝たら、幸せな夢を見た。先週末の土曜日も昼にシャンパン一本開けて倒れるように寝たら幸せな夢を見たことを思い出した。あれもしかしてお酒飲んだら幸せな夢が見れるのか?という不思議な状態になっている。それでも連続で飲もうとすると身体が「いや、それは辞めてくれ」と拒絶する。幸せな夢を毎日見たい。

今日のtumblr

雨はあんなに高いところから落ちてくるのにあまり痛くない。子供のころ、それがとても不思議でした。高いところから落ちてきた石が当たると、とても痛いのに。

中学のある日(高校だったかな)、空気抵抗というものを学びました。空気の抵抗の大きさは速度に比例する。高いところから物が落ちると重力に引っ張られて段々速くなっていく。それに応じて空気抵抗も大きくなる。重力は一定なので、増大する空気抵抗はやがて重力と同じ大きさになる。そうなると、その落下物はそれ以上加速されず、それ以後は空気抵抗と重力が釣り合ったまま一定の速度で落ちていく。

目から鱗でした。雨が痛くない理由も、綿ぼこりがふんわり落ちる理由も同じだったのです。大きさの割に重い石の場合は、かなり速くならないと空気抵抗と重さが同じにならないから、当たると痛い。アリが高いところから落ちてもケガしないのは、アリの体重と空気抵抗がすぐにバランスしてしまうから。

身の回りのいろんなものが、シンプルなルールで動いていることに感動しました。「物理学って美しい」とはじめてはっきり意識したときでした。

山中俊治の「デザインの骨格」 / 雨はなぜ痛くないか

不思議な現象を目にし、「どうしてだろう?」と思うときにこそ学びがある。
それを「どうせ〜だろう」と自分の中のものさしを当てはじめたら学びが止まるときだ。

#160124

観光地に住むメリット

今日のtumblrで気付かされたこと。

20年ぐらい前は奈良に住んでたが今は鎌倉に住んでいる。
別に大仏が好きなわけではないのだが、観光地に住むことにはメリットがあると感じている。

観光地は混雑するし、観光客目当ての店は値段が高かったりするのだが、そういうデメリットがあっても観光地に住むことには大きなメリットがある。
それは「観光客は機嫌が良い」ということである。

機嫌が悪い人や金が無い人は観光に来るわけがないから観光客というものは基本的に余裕があって機嫌が良い人達である。周囲に機嫌が良い人が多ければ自分も機嫌が良くなるものだから、観光地に住んでいるとなんとなく機嫌が良くなるものであり、これは精神的にとても重要なことである。

観光地に住むということ – 続・ユビキタスの街角

今の住居付近で暮らし始めて今年で9年目となる。(付近と書いたのは一度半径500mの引っ越しをしたためだ)その後もちょくちょく「引っ越したい」という気持ちになっては住居探しをするものの、どことなくいい場所が見つからなかったり、今以上に良い場所が難しいため実現していない。

そして今回のTumblr引用の話に結びつくのだけれど、なんとなくぼんやりと住居からほど近いとある商業施設の存在があるからこそ中々引っ越しできない理由のように感じていた。
それが「観光地だから」という視点は無かった。

毎日通勤で通り、帰社の途中に立ち寄ったりする場所が観光地だから笑顔で溢れているというのは全く気づかなかった。確かに言われてみればいつ訪れても不機嫌な人はおらず機嫌が良い人ばかりだ。

似たようなというか惜しまれつつ閉業して再開発されて再オープンした某商業施設は中々上手く行っていないようなのかテナントが撤退したり入れ替わりが頻繁だ。そちらもボクはそこそこ訪れるけれど、客の笑顔の割合は確かに少ないように思える。同じ商業施設なのに、観光地かどうかで差ができるのだなーという気付きだった。

#140125

ゲームを楽しむには心に余裕が必要

いつものtumblrで興味を惹かれたPost

ゲームってさ、効率、合理性、そんなところとは最も反したところにあるんだよな。もちろんゲームクリアそのものにはプレイングの合理性追求が求められるけど、合理性を追求することに対する合理性はない。いわば、ただの無駄。何の役にも立たない。言い換えれば、極めて純度の高い、娯楽。
ならアニメやラノベ、映画とどう違うかっつーと、能動的かどうかってことになる。ゲームは比較対象と比べると、明らかに能動的だ。それに、飲み会やデートのような「毎日はやらない」ものではなく、ゲームってクリアしようと思うなら「ある程度毎日コツコツする」ことが求められる。毎日コツコツすることが必要な、純度の高い能動的娯楽。実はこんな存在って……ゲームくらいしかないんじゃないか

さて、そろそろ結論です。
結局僕らには……能動的で純度の高い、毎日コツコツする娯楽を娯楽として楽しむ程度の心の余裕がなくなってるのかもしれないね。
頭では解ってる。そういう「無駄」こそ必要なのだと。
だけど、その「無駄」を能動的に摂取するのは、しんどい。
それなら「有益」を能動的に摂取するほうが楽かもしれない。筋トレや、ちょっと難しい読書のように。
少なくとも、ゲームをやるくらいなら……受動的に楽しめるコンテンツの方が、気が楽。
何故って、もはやこの高速化した世界では仕事やら何やらで常に能動的であることが求められるから。娯楽くらいは受動的に、徹底的に受動的にさせてくれ。あるいは徹底的に能動的でもいいけど、瞬間的なもの(飲み会もある意味そうか)なにさせてくれ。

こんな感じなのかもしれない。
まぁ的はずれなことも多いと思うけど、「ゲームでさえもはや能動的な趣味」ってのはあながち間違ってないんじゃなかろうか。

どうして僕たちは、ゲームを「めんどくさい」と思うようになったのか:MistiRoom – ブロマガ

無駄を能動的に摂取するのがシンドいという気持ちはなんとなく理解できる。多分その最もたる現象がVTuberやストリーマーのゲーム配信を眺めるという行為なんじゃないだろうか。
逆にボクは最近それらを見るのが耐えれなくなったというか、よっぽどながら観でなければ見なくなった。

ボクは興味を持ったゲームは自分でプレイしたいタイプだからだ。
とはいえど最近プレイしていてややストレスを感じているのがGame of the Year 2024にもなってる「メタファー:リファンタジオ」。

ペルソナシリーズが好きなので期待して買ったものレベル上げをかなり強いられてめんどくさいという気持ちが強い。アーキタイプというペルソナみたいなものを付け替えて戦うのだけど、このアーキタイプを育成するのがひどく手間というか時間がかかる。その癖、育成課題みたいなものがあってこれまた面倒さを加速させている。
別に面倒でも良いとは思う。ただ正直なお気持ちになるけれど、「わかった、わかった。ただそろそろ軽快にゲームを楽しみたいので取得経験値2倍とかの課金モードを用意してくれないか?」という気持ちが抑えきれない。なんならアーキタイプを育成する経験値アイテムパックでも良い。そのくらい面倒という気持ちが消えない。

わかる。わかるよ?ペルソナシリーズってだいたいプレイ時間100とかあたりまえだから、その感覚で大作を作り込でるわけで早くクリアされたくないんだよね。もっと楽しんでくれよと。でも結局このあたりも上の話に通じていて、心の余裕が失われつつある現代だと耐え難い苦痛に感じてしまう。そこは娯楽なのだから選べても良いんじゃないかと。

もちろん時間があって、楽しむ余裕があればおそらくこの感情はでてこない。そしてボクが若ければ楽しめたのかもしれない。楽しめない人間は卒業するべきだと頭ではわかっているのに。

結局ストリートファイター6がそこそこ流行っている理由は、さっと起動してさっと対戦して、さっと終わることができるのも理由じゃないんだろうか。
今の時代って可処分時間の奪い合いだからね。

#161224

今日の誰かの残滓

歴史界隈では「パンの焼き方は歴史に残らない」って言葉がある。その時代の人間にとって当たり前のことは、わざわざ書き残したりしないから、後世に伝わりにくいという意味だ。ほんの十年前は当たり前だったことすら、今の子にはわからないからね

Twitter / jingey (@dontrblgme404)

オリジナルの投稿はもう消えているため、残っているのはTumblr上のいくつかのアーカイブだけだ。
こんなにもSNSでは毎日多くの言葉が書き出され世の中に伝播していくのに、どんな良い言葉もアカウントが消えれば人知れず消えていく。
この寂しさにも似た寂寥感は一体何なんだろうか。

#121224

今日の印象に残ったtumblr

その昔、日本は電力関係の技術の一部をフランスから教わっていた。
日本人は富岡製糸工場と同じように、ぐんぐん技術を吸収して完璧に発電所を動かした。一年後、フランス人技術者たちは本国に引き揚げていったんだが……

発電所の制御装置には当初から封印された謎の鉄の箱が接続されていた。
そしてフランス人たちは、その箱についてだけは一切教えてくれなかった。
立ち去るときにも「その箱は絶対にさわらないこと、こわれたら呼んでね」と言い残していったそうな。

さて日本人たちは言いつけを守ってはいた。気にはなるけど、下手にいじって発電所を停めたらことだ。だが技術者たちはあの手この手で調べて、やがて出した結論は……

この箱、まったく何もしていないんじゃないの?

そして技術者たちは会社にかけあった。自分たちの技術力にかけて、これは何もしていない、我々を信用してこれを外させてくれ、と。

さわらぬ神になんとやらという議論もあったが、やっとゴーサインが出た。そしてその当日、万が一にそなえて万全の体勢を整え、みんながかたずをのんで見守る中で、その箱からのびるケーブルが切られた。すると……  

何も起きなかった。
溶接されたその箱を開けてみると、中は空っぽだった。
本当に、それはただの箱だったのだ。

一同は安堵のため息をついた。
技術者たちは胸をはる一方で、「フランス人め、たばかったな!」といきりたつ人もいた。でも……とぼくにこの話をしてくれた電力エンジニアは言うのだった。その箱をはずしたとき、日本の電力は独立できたんです。そのとき日本はフランスの呪縛から逃れ、電力技術を完全に自分たちのものにしたんです、と。あれはフランス人が日本に置いていってくれた、卒業試験だったんですよ、と。

わかるだろうか。
教わった通りのことをひたすら暗唱するだけなら、ロボットで十分なのだ。本当に求めるのは、教わった側がその知識を使って教えた側を超えてくれることだ。それこそ、本当の教育であるはずなのだ。
往々にして、教える側は(そしてもっと悪いことに教わる側も)それを忘れている。教科書を丸暗記して模範解答すればオッケーだと思っている。
でも、そんなのは教育じゃない。
テストで 100 点とって安心しているうちは、本当に教わりきっていないのだ。
技術移転でも、その他すべての教育でも。

技術移転と「フランス人の箱」

ふとこの話を見たときに、金沢市のホテルでテレビをつけたら放送されていたプロジェクトXの再放送「黒部ダム建設」を思い出した。

教育は難しいね。

#051224

今日のtumblr

最初は話がうますぎて本当ではないか、詐欺だと思いましたが、有名な格言を思い出しました。「金持ちがさらに金持ちになるのは、貧乏人があらゆるチャンスを詐欺だと思っているからだ」
そうは言っても、私たちは多くの策略、多くの詐欺、そして多くの人々が他人を利用して出世しようとする世界に生きており、そのように感じるのは問題ありません。

While initially I thought this is too good to be true or it’s a scam I was reminded by a very popular saying; the rich get richer because the poor think every opportunity is a scam.
Having said that we live in a world with a lot of trickery a lot of scamming and a lot of persons just trying to get ahead by taking advantage of individuals and it’s okay to feel that way.

Make US$150 Per Day for Typing Names Online Worldwide

最近アメリカのビジネスを記事にしているblogで、サンフランシスコの丸亀製麺を例に「どうして日本でDXが進まないのか」という話を興味深く読んだ。
件の丸亀製麺の店舗では注文から1杯のうどんが提供されるまでに関わるスタッフの数は12人。注文を聞く人、麺をゆでる人、それをお盆に乗せて客に渡す人、天ぷらコーナーの配給が数名とものすごい数の人が従事している。当然人件費が掛かる。
一方日本に目を向けるとワンオペと揶揄されるほどに一人の従業員が複数業務を兼業するのが当たり前のようになっていて、雇用者はそんななんでもできる人材を求めている。
DXはアメリカとかの海外のシングルタスクが当たり前の人材現場では有効だけど、日本のようにマルチタスクが当たり前の人材現場では有効に機能しづらく改革を目指しても業務効率が改善されないことが多いという話だった。

つまり上の話もそれに類するもので、海外ならではの格言と読み取れる。
記事本文では名前を入力することで様々なスキルをお金にできますという内容で、海外ではそういったニーズが多いからこそ、成り立つのだろう。
もちろんそういうサービスは日本にもあるものの、どちらかというと利用者よりも登録者の方が多いように見えるし、表面化していない犯罪の温床となってると思う。(某闇バイト関連もそうだし)

「話がうますぎて詐欺ではないのか」に対する考えとしては、「その商品に値段がついていない、または無料のとき、本当の商品はあなた自身だ」が該当する。
某怪しい通販サイトもそうだし、某iktokもそうだし、何でもかんでも同じことが言える。
だからといってそれらを「詐欺だ」と一笑に付すのもまた違う。
「詐欺ではないだろうか?」と認識した上で本当の目的を考えてみることに、この格言は意味があるのだろうかと考え、面白いなと思ったので引用。