#221025

今日のtumblr。

じいちゃんとばあちゃんは2人で暮らしてた。
ばあちゃんはボケが進んでた。
じいちゃんが介護してた。
いろいろ大変だったみたいだけど、会話はできているようで、人が思うほど大変じゃないよって言ってた。

ばあちゃんの家に行くと、いろんな事が紙に書かれている。
「冷蔵庫は閉めましょう」
「電気は消しましょう」
「トイレは←」
「ふく、くつした↓」とか、
いろんな字がじいちゃんの手で半紙に筆で書かれていた。
書いてあれば守ってくれるんだって。

じいちゃんはいつも一緒にいてあげたけど、
どうしても区役所とか病院に薬をもらいにとか出かける事がある。
心配だけど「外には出ないこと」と玄関に書いておけば、
大人しく待っていてくれたんだって。

ある日、じいちゃんが出かけた。
もちろん玄関には「外には出ないこと」
それなのにじいちゃんが戻ってきたら、ばあちゃんは家のすぐ前で車に轢かれてしまっていた。
救急車で運ばれた。

じいちゃんが駆けつけると、待っていたかのようにじいちゃんの手を強く握って天国へ行った。
じいちゃんはとても悔やんだ。
家族全員も悔しかった。
今まで書いてあることは必ず守ってたのになぜ家を出たんだろう。
家族同然の付き合いをしていた隣のおばちゃんが話をしてくれた。

事故の直前、急に雨が降ってきた。
おばちゃんは布団を取り込みに庭に出た。
すると、ばあちゃんが傘を持って慌てて道路に出てきた。
ばあちゃんの病気をおばちゃんは知ってたから、心配になってばあちゃんの方へ向かったその時に事故が。

じいちゃんが勤めていた頃、ばあちゃんは雨が降ると必ず駅までじいちゃんを迎えに行ってた。
ちょっとでも雨が降ると必ず迎えに行ってた。
雨を見て、じいちゃんが家に居なくて、傘を持っていこうとしたのだろう。
それだけ、じいちゃんが好きだった。

じいちゃんもばあちゃんが好きだった。
じいちゃんもしばらくして病気で天国へ行った。
ばあちゃんが持っていた傘と一緒にお墓に眠っている。
じいちゃん、ばあちゃん達は幸せだったんだろうな。

ニュースやSNSは悲しいことや怒りを煽ることが多くなりすぎた。
だからせめてこんなネットの片隅blogでくらい、世界にはまだまだ優しい投稿があるってことを残し続けていきたい。

C.ヴァイパーを触ってみる

Year3パスを購入しているのでC.ヴァイパーのコンボトライアルを触ってみる。
いや難しすぎるな、これ。
ただでさえ押して離してが苦手なボクには難しすぎる。

そもそもレバーレス操作も下手になりすぎているので、またしばらくリュウのコンボを練習。
なんでかわからないけど反応できるようになっていたのは、インパクト。
たぶんナイトレインで相手を見るってことを意識するようになったせいだな……。

#211025

今日のtumblr。

人生を線ではなく環ととらえてみてください。
生活は劇的には変わりません。
毎日のサイクルが少しずつ、変化していくだけです。

長くまっすぐな道をたどる旅ではなく、このくりかえす毎日を、日々どれだけ理想に近づけていけるかです。

理想の一日はどんな一日ですか?
何を習慣としてつづけている自分がいますか?
一日の終りに、どんなことを喜んでいますか?

きっとその方がイメージしやすいはずです。
イメージしやすいものの方が、つづけられるものなのです。

ダイエットも同じで痩せたい→ここでカロリーを制限してというスポットで気にしてきたけれど、結局こういう少しづつ痩せていく習慣をつけることが一番大事な気がしてきている。
よくやりがちなのは意欲があるときは「筋トレしないと」と頑張るのに長続きしないとかがある。
年を取るにつれ代謝が落ちていくので筋トレが一番効果があるのに、辛さにかまけてサボってしまうのが良くない。
あとやっぱり思ったのは、よく言われる「体重計に毎日乗るのはメンタルが削れるからやめたほうが良い」は正論ではあるけど、努力し続けている場合に限る。
サボってる場合アラートが鳴っているのをミュートしている状態なので余計たちがわるくなる。

成績判断を長めのスパンで見るようにしたい。(2週間後と比較するとか、1ヶ月後に結果がでているか)

急に寒くなったので風邪をひいた

この日は昼から体調が悪くなり、帰宅途中は「モームリモームリ」と思いながら帰宅。体調が悪いし雑炊にしようと思っていたけど、先日Youtubeで見た「なめこのクリームソースパスタ」用に絶対に備蓄しないイタリアンパセリ・生クリーム(高かったので植物性フレッシュにした)に加え、「きのこパスタなら鮭があわないわけがない!」とほぐし鮭身の瓶詰めを購入していたのを思い出し、パスタを調理。

オリジナルだぜ!とエリンギ・しいたけ・しめじも入れたらきのこから水がですぎて鍋肌に焦げができなかった。
とはいえど出来上がったものは動画で想像していた味だったので満足。お手軽で美味しかった。

ちなみに動画のコメントで「給料日前に生クリームだの白ワインだのパルミジャーノだのあるんだったらもう俺の給料日前とは違うんだよ」が好き。
ほんまそれ。生クリームなんて備蓄してない。

その後は葛根湯飲んで早めにお布団へ。
おやすみ、世界。

#190925

今日のtumblr。

気にしすぎないように

私は道を譲る側の人間です。

人に迷惑をかけたり、嫌な気持ちにさせないように、と知らない人にも気を遣って生きている。その感度が似ている彼との暮らしは毎日過ごしやすい。例えば、ラストオーダー10分前のお店には行かない。車内の混み具合では全然離れて良い。探し物はできるだけ自分たちで見つける、店員さんに尋ねない。

己の労力以上に、他人の労力が負担になる性格なんだと思う。

最近こんな本を読んだ。

“親切に感謝はいらない。なぜなら親切は当たり前なのだから”

確かに私もこの世界線を目指したい。これは善の目線(助ける側)だが、助けられる側の目線から見ると親切→迷惑に置き換えられないだろうか。

迷惑をかけるのは当たり前。迷惑をかけられた時、救いの手を差し伸べれば良し。

要はお互い様ってこと、私の生き方よりよっぽど生きやすそうだ。本当はラストオーダー10分前でもその日行きたかったお店があったし、降りたい駅で一言声掛けしてもらえた方が周りを気にしなくて済むし、探し物はさっさと見つけたい。

既にこの生き方をしてる人はいるけど、私はきっとそいつをあんまり好かんだろう。好かない人になれないから、今の自分なのか。

本当に世界がまとまったら、それはそれで困ることになるな。

自分が頭を殴られたように思った出来事の一つに、関東人には「これは貸しですからね」と言わないと貸しと認識しないんじゃないか?ってのがある。
お相手の関東人は「自分は貸しをよく作っているけれど、相手からは何も返してもらっていない」とよく言っていて、よくよく聞いていると「これは貸しですからね」と毎回言っているとあった。

ボクはそれを聞いて以来、「関東人と関西人って根底のこういう価値観が合わないんだな」と思った。そんな渡世の義理人情の貸し借り、恩を受けた、与えたなんて口にすることは野暮ってもんだし、無粋で憚られるものだろう?京都人なら「さすが東夷の方々はきちんとされてはる」と切り捨ててそう。

公共の場で弁えて行動をするのに理由はいらない。
何でもかんでも理由をつけて、「そうしなければならない理由」を探さなければいけないなら、その人は「そうすること」に向いていない。何故なら理由を探している時点でそれがストレスだからだ。

tumblrの話でいえば、お互い様であることは認識した上でどちらの我を通すかだ。
例えば閉店10分前についてしまった。どうしても行きたかったのにと思ったのであれば、声をかけて相談すれば良い。何も言わず立ち去った自分はなんて思いやれる人間だろうというのも、悪くはないけれど、そういう「自分はなんて素敵な人間なんだろう」という思考が生み出すのは、相手から理不尽な無礼を働かれたときに気分を害しやすい。
例えばこのケースでいうと、立ち去ろうと踵を返すと、すれ違いであとから歩いてきたお客さんが店のドアを開け中に入る。その時、店員さんが明るい声で「いらっしゃい」と言ったのを聞いてしまった。
おそらくそれでその人はその店を嫌いになる。
「なんだよ、せっかく自分が気を利かせたのに」という感情が湧くだろう。

お互い様プロトコルの根底にあるのは、「情は人のためにあらず」というものだ。
自分が撒くよりよき社会のための種を踏み荒らされて良い気分がするわけがない。
しかしそれでもこのプロトコルは、多くのときに円滑に機能する。
だからたまたま種が芽を出さなかったことを、「そんな日もある」と思える人間になれば良い。

道を譲る人間です。なんてのは「自分は親切な人間だから、相手からも親切にされるべき人間です」と公言しているのに近い。思うのは自由だし、考えることも自由。
けれども自分がしたことが相手からも必ずしも返してもらえるとは限らない。

「親切に感謝はいらない。なぜなら親切は当たり前なのだから」というのは言い換えれば「親切は、相手が親切にされたと感じてもらえないなら、相手はそれを親切と感じていない」だ。
残るのは親切をした側の「私はあの人に親切をしたのに」という悪感情だけ。

そういった思考なら、そもそもボクは相手に親切にしなければ良いのにと思う。金の貸し借りと同じで、「貸した側は覚えているのに、借りた側は忘れる」に通じる。

正しき人、善い行いをする人が必ずしも幸せになれるわけではない。
ただそういう人の方が確率的に良い目にあえるというだけだ。
本当に、ただそれだけのこと。

ボクの場合は、自分の価値を社会的に0と考えているから、道を歩いている他の人の方が社会的価値が高いと思っているというクソみたいな思想。路傍の石が道の真ん中にいたら蹴られてしまうから、はじめっから道路脇にあったほうが蹴られない。
極力誰の邪魔にもならないようにスルスルと避けて生きていたいだけ。
「邪魔だな」って思われるよりよっぽど良いから、迷惑にならないような行動をする。それが道徳的な倫理観に基づいているだけだ。

そういえば渋谷で8年間も空き缶掃除をしている人がいるけれど、あんな人にも暴言お気持ちしてる人がいるんだなーって驚いた。最近の空き缶てSNSで文字打てるんですね。

#070725

今日の。

私が考えているのは、勉強に対するアプローチの違いです。

坂を登るのに、男坂・女坂というのをご存じでしょうか。
男坂は急な坂を一気に登る道、女坂をなだらかな道をくねくねと時間をかけて登る道です。
最短の道をがんばって上るか、時間をかけても楽な道を行くか、です。

私の言うアプローチは「女坂アプローチ」なのです。
これまでの勉強法本というのは、すごい努力量を前提としたものが多くて、一種のスポ根の世界といいますか、「そりゃあそれだけ勉強したら上達するにきまってるじゃん」というようなものがよくあったと思うのです。
ですが、体質的にそういうがんばり方をすることができない人が多くいることも経験上知っています。ですので、「効率は多少落としても、その過程をあまりきつくなく、ある程度楽しいものにし、長く続かせることによって結果的に高くまで行ける」というアプローチも有効ではないでしょうか。
もちろんTOEICは短期集中のほうがいいことも知っていますが、英語の上達としては、そういう女坂アプローチもありではないかな、と思います。
この考え方は、井上大輔氏の「捨てる英語」というコンセプトではじめて触れました。
つまり、「わざと効率を落とすことで長続きさせる」ということも大事だということです。

英語学習法を考える:TOEIC990を超えて

DUOLINGOもこの系譜だと思うのだけれど、無課金だと間違えれる上限(ハート)があり、上限にひっかかると未達成となる。問題が少なく難しくないうちならば良いけれど、あとになるにつれ難しくなり、設問数もふえるためハードルが高くなる。
この上がりづけるハードルを自分でコントロールできないため、2年ほどつづけたある日、連続未達成で連続記録がリセットされやる気が粉々になった。
あのとき覚えた悪感情が妙に深く突き刺さり、以来なんというかやるたびに歯茎むき出しの難題連続ハートガン削りにイライラはしてしまう。

2回同じ問題を間違ったときは、一旦ハードルを下げて欲しい。しかし現実は「課金しないお前が悪い。ここで死ね!」と終了か課金しろの画面。
「はーゴミカスー」とレッスン終了しようとすると「待っていかないで!🥹」は煽りじゃないならなんやねん。死なす。
ビリーブートキャンプばりに「You can do it! you can do it! come oooonn!!」は鬱陶しいねん。

このあたりの顔文字煽り含めて、実に海外製という感じがする。利用者に寄り添わない。
「マウスの左ボタンで弾がでるよ!ハハッ!」に通じる。
もちろん勉学は贅沢なので無課金の自分が悪い。
ままならないね。

今日の心に残ったtumblr

中学時代にエヴァやナデシコにはまって面白いと言ったらオタク呼ばわり。
高校時代はスレイヤーズやロスユニ等々の神坂一原作系やエロアニメ、エロゲー収集が趣味になる。当然オタク呼ばわり。
ここまで20世紀。

大学に入るとエロゲーからは足を洗い、アニメそのものを見まくる。
一人暮らしを始めたアパートがケーブルテレビ見放題だったために新旧問わずキッズステーションとアニマックスで視聴しまくる。
当然コミケにも行ったしコスプレをしたこともある。
電子機械大好きで電気科へ行ったこともありマニアックなもの作るのも趣味。
PCの組み立てやトラブル対処によく駆り出される。
もちろんオタク呼ばわり。

社会人になってもアニメは週に何本か見続ける。
さすがに大学の頃に比べると本数は減ってきている。
もちろんアニメを見ているといえばオタク呼ばわり。

ここまで通してグッズはあまり買わない。
ジャンルを問わず見るが、有名所でも見ないものもある。
監督や声優などの裏方を積極的に見ようとしない。
正直アニメ見てる時ぐらいそう言うのを忘れて作品の世界にのめり込みたい。

さて、個々数年で何度か、
『え?〇〇監督とか知らないの?ニワカでしょ。』
『グッズ買わないとかオタクじゃねえよ。貢いでなんぼ。』
『声優知らないとか完全にニワカw情弱過ぎて話にならないwww』

こんなことを言われるようになった。
正直なところ中学の頃から罵倒され続けてきた身としてはオタクでないというなら大歓迎。それに越したことはないって話なんだが、今はオタクであることがステータスなの?
『こうじゃなきゃダメ』って言うオタク像があるの?
相変わらず一般人からはオタク扱いされるしどうすりゃいいのかわからん。
アニメが好きなだけなのが悪いのか。

元の投稿がFC2Blogのため参照できないが、なんかまんま自分と似てて心に残った。
エロゲーを続けいるくらいの差しかない。
悲しいけどボクたちは何ものこせず消えていく古いタイプオタクでしかないんだ。

今日の気になった言葉 #200114

あなたは自分なりのモノサシで自分の価値を計ればよい。
自分のモノサシで自分の仕事ぶりを評価し、自分のモノサシでワークライフバランスを計り、自分のモノサシで自分の働き方・生き方を決めていけばいいのです。

世間は何事も数値化して比較するのが大好きです。
平均年収だとか、会社別の年収ランキングだとか、結婚適齢期だとか……。すべては社会のゴミのようなモノサシです。

私たちがそのゴミのモノサシを気にする必要などありません。

「頭のゴミ」を捨てれば、脳は一瞬で目覚める! / 苫米地 英人

この手はnoteの方にPostしていたのだけど、これからは自分のBlogの方で投稿することにした。というのもnoteは大通りに面した場所という感覚になっているため、こういった特に多くの目についてほしいわけではない個人的に良いなーという言葉を残すには不釣り合いな場所に感じたからだ。

啓発本が嫌いなわけではないが、玉石混淆のため何かにまとめたいと思っていた。
noteはそういう意味では適した物だと感じていたが、それでも誰かの言葉をまとめるメディアではないと感じたので。

そういえば友人に
「キミは箱庭を作ることは好きではないと思っていた」
と最近言われたが、インターネットを始めてからホームページ(geocitiesやプライベートサイト)やBlogを続けているボクは、たぶん誰よりも自分だけの箱庭を作ることが好きなんじゃないかと思っている。