移動が間に合わなかった人

芥川賞受賞作家の畠山丑雄さんの贈呈式スピーチのnoteが話題
部分的に引用しても中々言葉の余韻が伝わらないため、ぜひ読んで欲しいnote。

個人的には冒頭に出てくる「居心地の悪さ」という言葉も好きだ。
そういえば「自宅にいるのに帰りたいと思うのはどうしてだろうか」というよく見るSNSのつぶやきも突き詰めれば、この「居心地の悪さ」に起因しているように思える。
もっとより良いピタリとハマる自分の居場所を心が求めているのだろうか。それは畠山さんが例に出したように温泉につかっているときに感じるものかもしれない。
ここではない何処かに帰りたいけれど、何処に帰れば良いかわからない。
毎週金曜の夜から土日が始まる前は自由なのに、日曜日が後何時間後に終わってしまうと感じる時の焦燥感。あれがきっとしがらみや現実的な問題から移動が間に合わないうことなのだろう。ボクたちはいつの間にかそんな姿と形もみえない何かに追い立てられているのかもしれない。

ちなみに「居心地の悪さ」は相手の行動を認めたくないと主張するSNSが悪さをしている。他人の不寛容は、まず相手を許容することで自分が許されるようになる。他人を許さない人間は自分も決して許されない。住みづらい社会を作ってるのはそういう人たちに同意しているせい。物事なんて、「良いね」と「同意」だけでインスタントに問題が解決できるほど簡単ではない。誰かもPostしていたけれど、そういう「お互いわかりあえませんね」という状態をお互いが理解することが共存につながる差別のない状態なのだけどなー。

しかし文筆家の文章ってどうしてあんなに流れるように軽やかなのだろうか。
日本語難しすぎる。

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