チーク材デスクのメンテナンス | HERDINS MP52

10年ほど前にとりあえずはと安く買ったチーク材のデスクをふと思い立ってきちんとメンテナンスした。
一応定期的に蜜蝋ワックスを塗っていたのだけど、最近チーク材は専用のメンテナンス製品:チーク材オイルがあることを知った。今回購入したHERDINS社(スウェーデン)のチークオイルMP52は創業1721年から300年以上に渡って北欧家具のメンテナンスを支え、今なお愛され続けている商品とのことだった。実際に日本国内使用者レビューでも他製品と比較しても匂いが少なく扱いも簡単で気に入りました。とあった。

とはいえどチークオイルなんて色々種類があるのでは?と調べてみると、ほとんど商品として出回っておらず、またMP52と比較すると成分がかなり異なる物ばかりだった。それならば300年も愛されてる製品の方が間違いないだろうと考え注文。Amazonでは売っておらず楽天にしかなかった。

使い方は簡単で、ウェス(ボロボロの衣類で可)を2枚用意し、まずはデスク表面を硬く絞った雑巾で掃除。そのあとMP52をウェスに染み込ませ、木の目に沿って塗るように塗布する。(ウェスを口につけ反対にして染み込ませる程度で良い)
その後、もう一枚のウェスで余分なオイルを拭き取り乾かせるだけで良い。

仕上がった机は、オイルを含んだせいかしっとりとしていてチーク材本来の深みのある上品で落ち着いた色合いになった。塗布する前はカッサカサでコップの輪ができると消えなくて大変だったけれど、MP52は撥水性もあるためさっと拭けば良くなった。今までどうして使ってなかったのだろうという気持ちだ。

とはいえど最近までチークオイルという存在すら知らなかったので、偶然知ることができてよかった。木材は全部蜜蝋でメンテナンスできるだろーという脳死の思い込みは浅学だった。
チーク材デスクくんにはもうしばらく頑張って欲しいので、定期的にメンテナンスしようと思う。
チーク材の家具をお持ちの方にはとてもオススメ。

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#250125

表参道の路地裏をブラブラと

持病の薬が減ってきたのでいつもの病院へ。
血液検査を待っている間に表参道の路地をブラブラと歩いてると、和風な佇まいのおはぎ専門店「タケノとおはぎ」が気になったので入店。季節の移ろいにあわせて日替わりのおはぎを提供しているとのこと。和菓子の練り切りをおはぎでというコンセプトらしい。
白あんでフキノトウのように見えて綺麗だなと感じた「蕾のとき」をお茶と合わせて注文。店内は狭く他にお客さんもいなかったので店員の方が積極的にお話してきてくれたこともあり、茶飲み会話を楽しんだ。話の中で「最近できた紅茶とパン屋さんがすごく美味しくてオススメです」といわれたので、病院のあとに行くことにした。

紅茶専門のお店でパンだけ買って退店というのも……くわえて最近サンドイッチとコーヒーの相性をお店が考えていたことを思い出し、せっかくなので店内で紅茶と一緒に食べることにした。ただ普段紅茶を飲まないためどの紅茶が口にあうかわからない。とりあえずメニューの一番上がベーシックなはず……とミルクチャイを注文。まろやかな味を想像していたら、表面に振りかけられていたスパイシーな香辛料が摩訶不思議な味に変え、いままでに飲んだことがない不思議な味に困惑した。
そしてシナモンロールのような果実が混ぜ込まれたパンはとても美味しかった。あとやっぱり紅茶との相性も良かった。


黄昏時、表参道から渋谷までブラブラと路地裏を歩く。この時間はモノクロ撮影よりもポジフィルム調で撮影したほうが良いと判断し、そちらでも撮影。

気になったお店に入ったり、気になったら足を止めて撮影する。
GR III HDFがとても気に入っているので、街歩きしようと思うときはGR Iのときより持ち出すことが増えた。やはり小型であることは良い。GRはこの小ささと手軽さが好きだ。

余談 APPLE WATCH購入時、Paidy分割が1/29まで12回払いが可能

APPLE STORE 表参道に行ったときに、Paidy分割支払いで12回が利用可能です。と案内されていた。だいぶ悩むけれど、結局通信キャリアの問題が解決できないことにはなーの気持ち。
povoがAPPLE WATCH対応してくれれば一撃です。(ため息)

#210125

体育会系の理論……

今日の。

ルールがきつくなればなるほど、人々は寛容さを失う。これは間違いないと思う。自分がルールに縛られていれば、他人もルールに縛られて欲しいと思うのが人情だ。

現代人は,僕の見る限り相当ルールを守って生きていると思う。
そして,寛容さを失っていっている。
その様子を大学に勤めるある友人が、「お互いに首を絞め合っている」と表現していた。言い得て妙だと思う。
僕はこういう状況を「体育会系の論理」と呼んでいた。

ドタキャンばかりする人々と,何年でも無遅刻無欠勤を続ける人々 – 諏訪耕平の研究メモ

無駄と余裕がなくなったら、人生は何を楽しむのだろう。
現実とSNSはある程度、離れて見ようね。

#200125

劇映画 孤独のグルメをレイトショーで見に行った

「監督(松重豊)・脚本(松重豊)は主演の松重豊を降ろしたがっている」

作品の熱心なアンチこと松重豊さんが監督・脚本を手掛けた「劇映画 孤独のグルメ」が1/10より公開されている。

『この間“オワコン”という言葉を知りまして、この番組にピッタリだなと思って』『お客さんが終わってもいいと思っても仕方ないくらいマンネリもマンネリで。どこへ向かえばいいんだろうという気持ち』(シーズン6前の松重豊インタビューコメント)

昨年から自室のBDレコーダーが毎週かかさず孤独のグルメ再放送を録画し続け、特に見るものがない時は筋トレのかたわらについつい再生していた。そのため劇映画のCMも何度か目にしていたものの、いつかAmazon Primeに着たら見ようかなという気持ちでいた。
ところがYoutubeでチー牛速報さんが動画でとりあげられていたのを気になって再生してしまい、冒頭のコメントが妙に心の琴線にふれたため映画を見に行こうという気持ちになった。

早速最寄り映画館の空席を調べると、自宅最寄りはそこそこ盛況だった。ところが会社から近い大きな劇場では一番大きなシアタールーム上映にも関わらず3席しか埋まっていなかった。しかもなぜか通路側。中央はがら空きだ。

おいおい待てよ。つまり最高に貸し切り気分でポップコーン食べながら映画チャンスじゃないか。と思いさっそく座席を購入しようとするとTCXルーム(プレミアムシアター)のためレイトショー価格にならなかった。それならとpontaパス(旧auスマートパス)に加入し、auマンデー(1,100円)を適用で回避。
pontaパスは月額550円ほどが必要だけれど、ローソンで無料クーポンや割引クーポンで回収できるため損はしない。映画目的であれば一月の解約でも良い。


年末恒例のTVシリーズ拡大版と異なり、しっかりとした映画脚本

TVシリーズの「孤独のグルメ」よりもクリエイティブが随所にこだわって作られていた。また画作りもTVシリーズとは異なり、映画らしさを感じることができたのも良かった。なんというか勝手に先入観から「劇場版といっても、おそらくこういう感じだろう」というイメージが良い意味で蹴り飛ばされ良さが上回っていた。

ギャグあり、人間ドラマあり、何度も展開が変わり続けながらも「スープ探しの旅」という屋台骨があるせいか起承転結しキレイに着地する脚本。広げられた風呂敷も丁寧に畳まれていき見終わったあとに「あれどうなったんだろう」が何も残らなかった。
さらに「孤独のグルメ」といえばの食堂シーンも、主演に演技だけにとどまらずその場に居合わせたお客さん役の方みんなが美味しそうに食べていた。この辺りは去年放送していた「それぞれの孤独のグルメ」の流れを感じる。

年末恒例のTVシリーズ拡大版では五郎はクライアントの無茶振りで振り回されながらも各地で食事を楽しむイメージがあるけれど、劇場版では五郎自らの意思で様々な場所へ赴き、問題解決と食事を楽しんでいた。そこに人間ドラマが絡み合っている。
とはいえどそこで見疲れをすることはない。孤独のグルメは深夜に流し見するのに丁度よい肩の力を抜いてぼーっと眺める作品。そこが劇場版になっても変わらないように思える。
だからめちゃくちゃ面白かった!と興奮するのではなく、「良い映画だったなー」としんみり見終わることができた。
そしてとてもお腹が空いた。あと美味しい炒飯が食べたくなった……。

松重豊さんには、この先も変わらず最前線で作品アンチとして主演を演じて頂きたい。

#160124

観光地に住むメリット

今日のtumblrで気付かされたこと。

20年ぐらい前は奈良に住んでたが今は鎌倉に住んでいる。
別に大仏が好きなわけではないのだが、観光地に住むことにはメリットがあると感じている。

観光地は混雑するし、観光客目当ての店は値段が高かったりするのだが、そういうデメリットがあっても観光地に住むことには大きなメリットがある。
それは「観光客は機嫌が良い」ということである。

機嫌が悪い人や金が無い人は観光に来るわけがないから観光客というものは基本的に余裕があって機嫌が良い人達である。周囲に機嫌が良い人が多ければ自分も機嫌が良くなるものだから、観光地に住んでいるとなんとなく機嫌が良くなるものであり、これは精神的にとても重要なことである。

観光地に住むということ – 続・ユビキタスの街角

今の住居付近で暮らし始めて今年で9年目となる。(付近と書いたのは一度半径500mの引っ越しをしたためだ)その後もちょくちょく「引っ越したい」という気持ちになっては住居探しをするものの、どことなくいい場所が見つからなかったり、今以上に良い場所が難しいため実現していない。

そして今回のTumblr引用の話に結びつくのだけれど、なんとなくぼんやりと住居からほど近いとある商業施設の存在があるからこそ中々引っ越しできない理由のように感じていた。
それが「観光地だから」という視点は無かった。

毎日通勤で通り、帰社の途中に立ち寄ったりする場所が観光地だから笑顔で溢れているというのは全く気づかなかった。確かに言われてみればいつ訪れても不機嫌な人はおらず機嫌が良い人ばかりだ。

似たようなというか惜しまれつつ閉業して再開発されて再オープンした某商業施設は中々上手く行っていないようなのかテナントが撤退したり入れ替わりが頻繁だ。そちらもボクはそこそこ訪れるけれど、客の笑顔の割合は確かに少ないように思える。同じ商業施設なのに、観光地かどうかで差ができるのだなーという気付きだった。

#140125

ゲームを楽しむには心に余裕が必要

いつものtumblrで興味を惹かれたPost

ゲームってさ、効率、合理性、そんなところとは最も反したところにあるんだよな。もちろんゲームクリアそのものにはプレイングの合理性追求が求められるけど、合理性を追求することに対する合理性はない。いわば、ただの無駄。何の役にも立たない。言い換えれば、極めて純度の高い、娯楽。
ならアニメやラノベ、映画とどう違うかっつーと、能動的かどうかってことになる。ゲームは比較対象と比べると、明らかに能動的だ。それに、飲み会やデートのような「毎日はやらない」ものではなく、ゲームってクリアしようと思うなら「ある程度毎日コツコツする」ことが求められる。毎日コツコツすることが必要な、純度の高い能動的娯楽。実はこんな存在って……ゲームくらいしかないんじゃないか

さて、そろそろ結論です。
結局僕らには……能動的で純度の高い、毎日コツコツする娯楽を娯楽として楽しむ程度の心の余裕がなくなってるのかもしれないね。
頭では解ってる。そういう「無駄」こそ必要なのだと。
だけど、その「無駄」を能動的に摂取するのは、しんどい。
それなら「有益」を能動的に摂取するほうが楽かもしれない。筋トレや、ちょっと難しい読書のように。
少なくとも、ゲームをやるくらいなら……受動的に楽しめるコンテンツの方が、気が楽。
何故って、もはやこの高速化した世界では仕事やら何やらで常に能動的であることが求められるから。娯楽くらいは受動的に、徹底的に受動的にさせてくれ。あるいは徹底的に能動的でもいいけど、瞬間的なもの(飲み会もある意味そうか)なにさせてくれ。

こんな感じなのかもしれない。
まぁ的はずれなことも多いと思うけど、「ゲームでさえもはや能動的な趣味」ってのはあながち間違ってないんじゃなかろうか。

どうして僕たちは、ゲームを「めんどくさい」と思うようになったのか:MistiRoom – ブロマガ

無駄を能動的に摂取するのがシンドいという気持ちはなんとなく理解できる。多分その最もたる現象がVTuberやストリーマーのゲーム配信を眺めるという行為なんじゃないだろうか。
逆にボクは最近それらを見るのが耐えれなくなったというか、よっぽどながら観でなければ見なくなった。

ボクは興味を持ったゲームは自分でプレイしたいタイプだからだ。
とはいえど最近プレイしていてややストレスを感じているのがGame of the Year 2024にもなってる「メタファー:リファンタジオ」。

ペルソナシリーズが好きなので期待して買ったものレベル上げをかなり強いられてめんどくさいという気持ちが強い。アーキタイプというペルソナみたいなものを付け替えて戦うのだけど、このアーキタイプを育成するのがひどく手間というか時間がかかる。その癖、育成課題みたいなものがあってこれまた面倒さを加速させている。
別に面倒でも良いとは思う。ただ正直なお気持ちになるけれど、「わかった、わかった。ただそろそろ軽快にゲームを楽しみたいので取得経験値2倍とかの課金モードを用意してくれないか?」という気持ちが抑えきれない。なんならアーキタイプを育成する経験値アイテムパックでも良い。そのくらい面倒という気持ちが消えない。

わかる。わかるよ?ペルソナシリーズってだいたいプレイ時間100とかあたりまえだから、その感覚で大作を作り込でるわけで早くクリアされたくないんだよね。もっと楽しんでくれよと。でも結局このあたりも上の話に通じていて、心の余裕が失われつつある現代だと耐え難い苦痛に感じてしまう。そこは娯楽なのだから選べても良いんじゃないかと。

もちろん時間があって、楽しむ余裕があればおそらくこの感情はでてこない。そしてボクが若ければ楽しめたのかもしれない。楽しめない人間は卒業するべきだと頭ではわかっているのに。

結局ストリートファイター6がそこそこ流行っている理由は、さっと起動してさっと対戦して、さっと終わることができるのも理由じゃないんだろうか。
今の時代って可処分時間の奪い合いだからね。