週末の土曜日、どうしても海を見たくなった。
精神的な疲労もあってこの日は昼ごろに起きた。そうなると自転車では日暮れまでの到着に間に合わないため、バイクで行くことにした。そこまでは良かった。しかしどうせ行くなら新しいスマートフォンで海の写真を撮りたいと考えてしまい、ちょうど土曜日に到着予定だったスマートフォンのケースを待っていたら出発は14時を過ぎた。おまけに待てど暮せどケースは配達されなかった。
なんでやねん。
本当は天気も良かったので、千葉県君津〜館山〜鴨川の海沿いをのんびり走りたいと思ったが、さすがに日が暮れてしまう。結局自転車でよく行く九十九里浜の不動堂海水浴場に向かうことにした。
片道100km未満のため千葉のツーリングプラン2,500円を申し込む。
2日使うならギリギリお得になるが、1日だと千葉は高速を使ってもあまりお得になりづらい。
何より今回は時間的にも厳しい。
せめてたくさん乗って元を取ろうという貧乏性を遺憾無く発揮し、最寄りの東金ICまで使う。
東金ICにつくころ、太陽はかなり地平線に近づいていた。
ICからあとは下道かなと思っていたら東金九十九里有料道路の看板に気づく。せっかくなので利用してみることにした。(バイクは210円 / 自転車は20円)
普段は東金市街地を通っていたためこんな道があることを知らなかった。ほぼまっすぐの海までの道だが、信号はなく、通行もまばら。快適に走行し、数分で海岸に到着することができた。
駐車場に停車したあと、砂浜で何枚か写真を撮影し、海をぼんやりと眺める。
火曜日の深夜に耐えれないほどのストレス(クライアントの私生活に影響するパワハラ)を受け、一撃でメンタルが死んでしまい社長に仕事を辞めますと伝えた。
辞表届けを保留にし、少し考える時間をくださいと伝え、週末まで仕事をし、海にきた。
明けて水曜日。朝とてもじゃないけどジョギングする精神状態になれなかったため、帰宅してからジョギングにでかけた。こんな日くらい走らなくても良いじゃないかと考えもしたが、部屋で悩んでもロクなことを考えない気がした。
せっかくなのでいつものルートではなく少し遠回りをする。住居からほど近い大きな河川に出た時、河川の向こうに見える綺羅びやかな都会の灯りに目を奪われ、近場に座れそうな場所を探ししばらく眺めることにした。
ぼーっと眺めながらこの先どうしようかと考える。
数十分ぼんやりと考えた結果は、「なんとなくまだ此処に居たいな……」ということだけだった。そして週末、改めて九十九里浜で寄せては返す波を見ながら思ったことも、「やっぱりまだ此処に居たい」という気持ちだった。
悩んだり落ち込んだりしたときは、大きな物を見て考えたくなる。
自分の悩みなんて小さいことだし、今考えている大きなことすらも長い目で見れば小さなことだと感じれるから。
最近Tumblrで似たようなTweetの転載を見た気がする。
本人からすればとてつもなく大きな決断を要する退職と転職も、職場の人からすれば毎日のワイドショーで報道されるような遠い出来事でしかない。
twitter
今回の件で気づいたのは、意外と自分が思った以上に、「あ、そんな簡単に辞めて良いのか」って気づけたことだった。なんというか「自分が辞めたら会社に迷惑がかかってしまう!」みたいな降ろせない荷物を一人で一生懸命落とさないように抱えていたつもりだったが、別に降ろしても捨てても良いと気づいたら、「もう辞めよう」と思い詰めていたこと含めてバカバカしくなった。
もう少し楽に生きていこうと思う。
どうしようもなく嫌なことは嫌ですと言えるのは大事なことだ。
太陽が水平線に沈むのを確認したあと、酒々井町のアウトレットモール近くにある温泉施設に向かった。ボクはとても寝湯が好きだ。この日はやや温かめでボク好みな湯量多めの寝湯でゆっくりし、マッサージ器を堪能したあと帰路についた。
帰り道の高速道路を走りながら思ったのは、今年は自転車にあまり乗っていないということだった。
自転車でよく来る場所にバイクで来たものの、辿り着いたという感慨が一切なかった。
ただ移動してきただけだ。
自転車の旅は辛かったり大変だったりするし、帰り道は帰り道でシンドいなーと思うことともあるけれど、それはそれとしてたまに苦労することが人間には必要な気がしてくる。
当たり前のように毎日寝起きして、食べ物を口にして、お風呂に入り、温かい布団で寝る。
それだけで恵まれた生活なんだと気づくには、その生活から離れる必要がある。
人間は失うときにしか、それまでの当たり前の大切さに気づけない。
ちょっとした苦労は、そういう当たり前に気づくきっかけをくれる。
もう少し此処で生きていこうと思う。