#241124

今日の気になったtumblr(からの海外blog)

人間の仕事をAIが奪ってしまうか?といった話

2012年のウォールストリート・ジャーナルの記事によると、「シアトルを拠点とするコーヒーチェーンが、コーヒー作りの高度な技術を、流れ作業のような機械化されたプロセスに落とし込んだという顧客からの苦情」を受けて、「スターバックスのバリスタは、同時に複数のドリンクを作るのをやめるよう指示されている」という。

顧客はコーヒーの品質について不満を言っていたわけではなく、むしろ、1、2分間、別の人間が自分のコーヒーに全神経を集中して注いでくれることで、スターバックスへの訪問に贅沢な感覚が与えられたのです。

高級品は希少性によって定義されます。確実に希少なもの、そして社会が豊かになるにつれてさらに希少になるものの一つは、他人の時間と注意です。

したがって、最も高級なレストランが最も労働集約的である傾向があるのは偶然ではありません。店のフロントでは、ジャケットを掛けたり、グラスに水を注ぎ足したり、テーブルのパンくずを掃いたりする人がいます。バックヤードでは、すべての料理を芸術作品のように注意深く盛り付ける人がいます。

日常的な作業が自動化されるにつれ、この効果はより強力になると予想しています。おそらく 10年後には、グラスに水を入れたり、ジャケットを掛けたり、手の込んだ料理を皿に盛り付けたりできるロボットが登場するでしょう。しかし、目新しさが薄れれば、高級レストランは、それほど高級ではないライバル店との差別化を図るために、引き続き人間の労働力を多用するようになると思います。

企業の世界でも同様の現象が見られます。企業が重要な顧客に営業担当者を割り当てる理由の 1つは、顧客との関係を重視していることを示すためです。より重要な顧客は営業担当副社長に連絡でき、最も重要な顧客は CEO に直接連絡できます。

AI システムが今日の営業担当者が行うすべての業務をこなせるようになったとしても、営業担当者の仕事がなくなるわけではありません。むしろ、企業が競合他社との差別化を図る手段として、人間の営業担当者を雇うことがさらに価値あるものになるでしょう。

2012 story in the Wall Street Journal said that “Starbucks baristas are being told to stop making multiple drinks at the same time” after “customer complaints that the Seattle-based coffee chain has reduced the fine art of coffee making to a mechanized process with all the romance of an assembly line.”

Customers weren’t complaining about the quality of the coffee. Rather, having another human being give their coffee undivided attention for a minute or two gave their visit to Starbucks a sense of luxury.

Luxury products are defined by their scarcity. One thing that’s reliably scarce—and gets more scarce as society gets richer—is the time and attention of other people.

So it’s not a coincidence that the fanciest restaurants tend to be the most labor-intensive. In the front of the house are people to hang up jackets, refill water glasses, and sweep crumbs off the table. In the back, people carefully arrange every dish so that it looks like a work of art.

I expect this effect to get more powerful as more routine tasks get automated. Maybe in a decade we’ll have robots that can fill water glasses, hang up jackets, and arrange elaborate dishes on plates. But once the novelty wears off, I expect high-end restaurants to continue making heavy use of human labor to distinguish themselves from less exclusive rivals.

You see the same phenomenon in the corporate world. One reason companies assign salespeople to important customers is to signal that they value the relationship. More important customers get access to the vice president for sales, and the most important customers get direct access to the CEO.

Even if AI systems become capable of performing all the tasks of today’s salespeople, that does not imply that the job of salesperson will become obsolete. If anything, hiring human salespeople will become even more valuable as a way for a company to distinguish itself from competitors.

Understanding AI | Seven big advantages human workers have over AI

介護をロボットがすべてまかなうことができるか?と考えたときに、おそらくそれはできないと考えたことがある。ただし起き上がり補助などの部分的には可能だと思う。(排泄などのプライベートなことはロボット補助の方がむしろ喜ばれるはず)

利便性があがればあがるほど、人間は誰かが自分のために時間と労力をさいてくれていることの偉大さに気づけるのかもしれないね。

#181124

今日のtumblrでみたもの

木登りの名人と呼ばれている男が、弟子を高い木に登らせて小枝を切り落としていた。弟子が危ない場所にいる時には何も言わず、軒先まで降りてきた時に、「怪我をしないように気をつけて降りて来い」と声をかけた。「こんな高さなら飛び降りても平気ではないか。なぜ今更そのようなことを言うのか?」と問わば、「そこがポイントです。目眩がするくらい危ない枝に立っていれば、怖くて自分で気をつけるでしょう。だから何も言う必要はありません。事故は安全な場所で気が緩んだ時こそ起こるのです」と答えた。

たいした身分の親父ではないが、教科書に掲載できそうな内容だ。バレーボールのラリーなどでも、難しい球をレシーブした後に、気が緩んで必ず球を落とすらしい。

原文

高名かうみやうの木登りといひしをのこ、人をおきてて、たかき木に登せて、こずゑを切らせしに、いとあやふく見えしほどは言ふ事もなくて、るゝ時に、軒長のきたけばかりに成りて、「あやまちすな。心して降りよ」と言葉をかけはべりしを、「かばかりになりては、飛びるとも降りなん。如何にかく言ふぞ」と申し侍りしかば、「その事に候ふ。目くるめき、枝危きほどは、己れが恐れ侍れば、申さず。あやまちは、安き所に成りて、必ずつかまつる事に候ふ」と言ふ。

あやしき下臈げらふなれども、聖人のいましめにかなへり。まりも、かたき所をいだして後、やすく思へば必ず落つと侍るやらん。

徒然草 第百九段 / 徒然草 (吉田兼好著・吾妻利秋訳)

興味を覚えて他の現代語訳をいくつか眺めていると、現代のSNSでよく見るような妬みと罵倒という図式があって、人間社会の進歩とはかくも時間がかかるものなのかと、何百年経っても変わらないものなのだなーと感じた。

#081124

自分のためにだよ

いつものようにtumblrを見ているとアメリカでそこそこ上手くやってるシステムエンジニアで民主党支持の方が、「トランプが勝利した今のアメリカの空気感」みたいな内容をhatena.blogに投稿されていた。(tumblrではよくあるのだけどReblogしたつもりでできていないことがある。これも同様にまたどこかにいってしまった)

内容はかざりっけがないながら上手くまとまっていて、選挙内容に不満があるという内容ではなく「本来民主党が味方につけるはずだった20,30代のリベラルを、政策アピールで引き込むことができなかったのがハリスと民主党の敗因。その人達がトランプに票をいれてしまった原因と対策を、次回の選挙までに民主党は考えるべきだろう」といった内容だった。もうちょっと書くと「トランプの掲げた政策を実行すると物価があがってしまい、主だってトランプに入れてた低所得者層死ぬけど大丈夫そう?」といったもの。わかりやすさとアメリカの現状みたいな空気感も感じれる現地の人の感想という良い文章だった。

で、これがどうも一度投稿されたあとに大幅に加筆修正されて読みやすくなっていたようで、そのことに気づいた人が「前の文章は箇条書きで素っ気なかったですが、わかりやすく書き直してくれてありがとう。でも忙しい中でこんな誰の得にもならないことをしてくれて不思議でした。どうしてこんなに親切なんだろう?」というコメントに「そんな人間いるわけないだろ。これがAIってわからないとか馬鹿?」等の実にhatena.blogらしいコメントがついていた。

そして、届かない場所でこんなことへ返信みたいなことをするボクも無意味だ。
ただボクはこの投稿者がどうして1セントの得にもならないことに労力を割いたかがわかる。この話をダラダラと広げようと思ったけど少し文章を書いたけど、雅じゃないので消した。

結論だけ書くと、おそらく「自分のため」に書き直したんだと思う。ボクも定期的にこのBlogの過去投稿を校正しつづけているので気持ちはわかる。
流れ続けるSNSと異なりblogはその場所があり続ける限りは残ってしまうため、誰かの目に触れてしまう。(SNSもtumblr等で古い情報にアクセスは可能だが)

連想して思い出したのは、スティーブ・ジョブズが「過去の偉人が繋いできたバトンを自分が落としてしまうような焦燥感があった」という話。
より良き世界、よりよき社会を目指す行動は小さなことの積み重ね。どんな小さいことでも、より良いことへができない人は大きなことなんてできもしないという当たり前の話だ。
この投稿者はアメリカでそこそこ成功してーとあるし、文章からもそうなんだろうと感じれるから、当たり前のように小さなことでもより良くの意識があるんだろう。

もう一つは心の豊かさに依る。
人は心が豊かな状態になると親切心から分け与えるという行動ができるようになる。
「ボロは着ても心は絹」、「武士は食わねど高楊枝」と昔からこの手の言葉は標語として受け継がれている。

そのどちらかじゃないかなーと推測。

#121024

19の時につげ義春「無能の人」を読んだ影響で公園の石ころを路上で販売してみました。高田馬場でした。

石の値段は150円から900円くらいまで用意しました。最初は売れませんでしたが、興味を持ってくれる物好きな人と会話する機会が増え、だんだんトークスクリプトがブラッシュアップされて行き、3日目に時給換算で600円くらい売れるようになりました。

ほとんどの方はその露店を見なかったかのように素通りします。たまに「なにを売っているんですか?」と尋ねてくる方がいます。その方を対象にトークスクリプトを作りました。

「何をしているんですか?」
「石を売っています。すぐそこの公園で拾ったのでご利益はありません。水洗いはしてあります」
「石?なんでそんな石を売っているんですか?」
「こちらとしては原価ゼロなので商材として魅力的です。そして買うだけの価値もあります」
「価値?」
「今までにそこらへんの石を購入されたご経験はおありですか?」
「ありません」
「今後の人生で購入する機会はあると思いますか?」
「ないと思います」
「ですよね。この石を購入すると買った瞬間から『そこらへんの路上の石を買った』と話すことができます。一生に一回のチャンスです」

このパターンで売れるようになりました。今なら「そのものの価値より顧客体験が大事なのだ」と説明できますが、当時実感としてそれを得られたのは貴重でした。

「ちなみになんですが、ご自身の石に加えて、ギフト用にもう一ついかがですか?『そこら辺の石をプレゼントするまたとないチャンス』です」

それまでの会話のウケ次第ではこれもニヤニヤしながら買ってくれます。

その後社会に出て営業の経験も何度かしましたが、石売った初日の何もなさ、難易度を思い出すとどんな営業でも心が折れなくなりました。ほとんどの商材は石より価値を感じられますし。

この話、なんか仕事仲間にウケがいいです。

蛇足になりますがせっかくなので後日談を書きます。

上記のエピソードは仕事関係でまあまあウケがよく、機会があるごとに話していたのですが、この話をドイツでしたところ「フリーマーケットにいるよ」と片付けられたのでした。

実際にフリーマーケットに行ってみると、中国人が「漢字を書いただけの石」を売っていたのでした。漢字を書いただけ。しかも結構売れてる様子。意味がわからなくても「漢字だ!かっこいい!」となる欧米人は多くいます。

私はそこに、プロのアイデアとテクニックを見たような思いでした。そのタイミングで私は「そこらへんの石ビジネス業界」の存在を知り、自分がまだまだ駆け出しだったことを痛感したのでした。

ビジネスの世界は本当に奥深い。

Quora 友達に受けた話・エピソードは何ですか?

以前Tumblrで見かけた投稿だけど、また巡ってきたのでblogに引用。
似たようなのでソフトバンクの北尾吉孝さんが「アラブの石油王にアラブの砂を売ることができる男」と呼ばれていた話しを思い出す。

最近、お米が値上がりして仲卸業者が暴利を貪って中抜きしてるのが許せない!みたいな意見をSNSでよく見て微笑ましい気持ちになる。
そもそも中抜きという言葉が本来の意味と異なっている。本来の中抜きは、卸売などの中間業者を通さずに製造元と買い手が直接取り引きすること。最近よく聞く手数料だけ取ってまるなげみたいなのは、どちらかというと中間マージンの方が正しいけど、マスコミ含めインターネットメディアとSNSで悪い言葉のイメージとして定着させられた。

仲卸仲介業者がどんな仕事をしているかも想像できないから、ただ農家からお米を買って売ってるだけで儲けてる!許せない!とかなんだろう。
石の話しもアラブ人に砂漠の砂を売る話しにしても、仲介仲卸業者が農家から米を買って売るにしても共通しているのは「お互いにメリットがある」「物以外のものをお金で交換している」ことにある。
「ビジネスの世界は本当に奥深い」という引用の感想にこそ主題の味わいがある。

#130524

tumblrを読んでいると面白い話があった。

以前、ハーバード生に『今の自分がいるのは何のおかげだと思うか』というアンケートを取りました。

1位は、親が早くから文字を教えてくれたこと。
2位は、家族がさまざまな話題について議論する家庭であったこと。
3位は、色々な場所に連れて行ってくれたこと、でした。

つまり、文化資本が高い家庭であったということです。

文化資本が高いかどうかはわからないけれど、子供嫌いな母親が「家にいると気が滅入るし、邪魔だから連れて行って」とボクは幼少期からよく父親の車に乗せられて色々な場所を旅をした。
文字については、その時に買い与えられる食玩(お菓子にプラモデルがくっついている)の説明書に書いてある文字や看板類を物珍しさで覚えたような記憶がある。

ネットワークが発達して、旅をしなくても情報を得ることができる世の中になったけれど、未だにボクが旅に出るのは、そんな子供時代を過ごしたからな気がする。
五感で感じ、学ぶ以上の勉強はない。

きっかけは悲しいものではあったけど、そんな両親で良かったなーと思う。

#190424

今日の。

人生の無常を伝えるローマ時代の格言「カルペ・ディエム(今日を生きよ)」は、幸福の原点を未来に追い求めるのではなく、日々の暮らしの中に見出す言葉ともいわれます。 (中略)

カルペ・ディエムの「カルペ(摘め)」は、ローマ時代には花を対象に使われる言葉でした。しかし、詩人ホラティウスは、花の代わりに’今日’を意味する名詞「ディエム」を詩に用いました。

このことからホラティウスは、’今日’という日を花摘みに例え、その限りある時間を有意義に生きよ、と伝えたかったといわれています。

「カルペ・ディエム 花として今日を生きる Carpe diem. Seize the day」展 – 豊田市美術館

tumblrで見かけて、いい言葉だなーと思ったので備忘録メモ。

そして反対にソレに名前あったんかーい、はこちら。

「シャーデンフロイデ」とは、他人を引きずり下ろしたときに生まれる快感のこと。成功者のちょっとした失敗をネット上で糾弾し、喜びに浸る。実はこの行動の根幹には、脳内物質「オキシトシン」が深く関わっている。オキシトシンは、母子間など、人と人との愛着を形成するために欠かせない脳内ホルモンだが、最新の研究では「妬み」感情も高めてしまうことがわかってきた。なぜ人間は一見、非生産的に思える「妬み」という感情を他人に覚え、その不幸を喜ぶのか。現代社会が抱える病理の象徴「シャーデンフロイデ」の正体を解き明かす。

シャーデンフロイデ 他人を引きずり下ろす快感 / 中野信子