#021024

モスバーガーのチリドッグを見ると思い出す

「太平洋を見てみたい」

高校を卒業後、全国に支社を持つくらいには大きな会社に入社したボクは、生まれ故郷のモモタローランドから遠く離れた東北への赴任を命じられた。はじめこそ「なんでやねん。嫌がらせすぎる」という気持ちが強かったものの、住み始めて二ヶ月後には「仙台最高やっほーい。ボクここに骨を埋めます」と東北大好きな人間になっていたのだが、それはまた別の話だ。

赴任後は会社の独身寮に入寮した。
独身寮には年齢制限があり、数年後にはトコロテンのように強制的に退寮する必要がる。結果として歴代の先輩方の使用物が置き土産のようにいくつか残っていた。
古びた自転車もその中にあった。

寮母さんに尋ねると直せるなら自由に使って良いとのことだったので、近所の自転車屋に持ち込み注油などのメンテナンスを受けると快適に利用できるようになった。これで行動範囲が広がるぞーと週末はあてもなく仙台市内を北へ南へとブラブラ行動するようになった。

ボクは今も変わらないが用もなく本屋に立ち寄る程度には、本屋が好きだ。
この当時は携帯電話もまだ浸透しておらず、ポケットベルが全盛期の時代。当然GPSによる地図といったものはないため、現在地を知るには紙などの地図を広げる必要があった。
週末の金曜日、書店の中をブラブラしていると地図が目に入った。あまり気にしていなかったが、そもそも今自分はどこに住んでいるのかを調べてみると、宮城県は縦に細長く、仙台市から少し東側にいけば太平洋になっていた。

「これは自転車でいけないだろうか?」とふと思った。
仙台駅から海近くの塩竈市まで尺図を指で図ると20kmはないようだったのと、道も国道45号線から一本道でこれならば地図がなくても辿り着けそうに見えた。
幸い翌日の天気は晴れだったので、早速自転車で小さな旅に出ることにした。


朝食用に用意されている炊飯器からおにぎりを2つ作りお弁当にした。
9時に出発したものの、塩釜市にはお昼を大きく過ぎころに到着。道中は土地勘もない地名もわからないとないないづくし。当然方向も現在地もわからず道に迷い、東に進んでいたはずが何故か西に戻っていたりと散々だった。通ゆく人に「あの海はどちらの方向ですか?」と訪ねる頭のおかしな人ギリギリな手前の行動でなんとか辿り着いた。

そのおかげではじめて目にした太平洋は忘れられない光景になった。
とはいえど見渡す限り水平線といった光景ではなく、どちらかというと故郷で良くみるような海の先に小さな島が連なったような景色。それが期待外れというわけではなく、遠く離れていても故郷と同じような景色が見れたことが懐かしさを覚えると同時に寂しさを解消してくれた。何だかんだで一人知らない土地に放り出され、やはりどこか寂しさを覚えていたんだと頭が理解した。

しばらく海を堪能後、帰路についた。
帰りは楽というかどこへいっても「仙台」への案内標識があったため迷うことはなかった。
そうして夕方も近づき薄暗くなり始めたころ、道路沿いのモスバーガーで「チリドッグ」を購入。暗くなりはじめていたので道が見えなくなる前に少しでも知っている場所まで戻れるよう、自転車に乗りながら食べようと考え思い持ち帰りにした。

実はそれまで自分の人生でモスバーガーを食べたことが一度もなかった。
高校時代に友人とモスバーガーに行く機会は何どもあったが、月の小遣いが3,000円でわずかでもゲームセンターのゲームで遊びたいと思っていたので、付き合いで行っても水しか飲んでいなかった。友達が美味しそうに食べるのを何度も見ていたので、モスバーガーを見て「そうだ、せっかくだから食べてみよう」と思ったわけだ。

だから持ち帰りも店内飲食と同じく紙の袋に入っているものだとばかり思っていたら、プラスチックの上下に分かれる開閉トレーだったことにまず驚いた。そして悪銭苦闘しながらなんとか蓋を外し下蓋に重ねる。そうして透明な薄い紙を手前に持ち上げ、チリドッグをかじれるようにセット。
そして「いざ、頂きます!」と口をあけた瞬間、自転車の前輪が歩道の大きな段差で跳ね上がり、両手の肘でハンドルを操作していたボクの手に突き上げるような衝撃が加わった。

ガンッ
「あっ!?」

手を汚さないようにと両手でトレーを支える形で持っていたこともあり、フリーになっていたチリドッグは慣性の法則に則り前方に放り出され、綺麗な放物線を描きながら地面に着地。
直後に前輪と後輪で轢き潰された。

慌ててブレーキを踏んで後ろを見ると無惨な姿になったチリドッグだった物が見えた。
ご飯を失った落胆、悲しみから「どうしてせめて停車して食べなかったのか」という自らの愚かな行為とアホさに自分を責め立てた。しかも手持ちのお金はチリドッグを買って尽きてしまっていて残り数十円だったこともあり、寮まで空腹のまま自転車を漕いで帰るはめになった。


あの時のひもじさとアホさと愚かさは今でもモスのチリドッグを見るたびに苦い記憶として思い出す。人間は愚か。


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